2013年02月12日

Wild Wild West Jawa 2003

2003年の3月末のことでした。2nd Jobだった公共プールの仕事が突然終了になってしまいました。会社がアホなので競争入札で他社に仕事を取られちゃったのです。1st Jobの救急講座の次の仕事まで2週間のスケジュールが空白になりました。考えてみれば願っても無いチャンスです。若い頃から未開の地へ未知の波を求めて旅をする事が夢としてありました。
急いで行き先を考えました。第一候補地はインド洋大津波で世界的に有名になってしまったバンダアチェ。ここへ行った事のあるサーファーなどほとんどいないでしょう。しかし内戦のため入域できませんでした。そこで当時はまだポピュラーではなかったジャワ島西部のチマジャとロンボク島に決めました。大急ぎでサーフトリップ専門旅行社のOMツアーに電話をし、無理を言って3日後に旅立てるように手配してもらいました。
 こうして20年来の念願だったディープなアジアへのサーフトリップが実現したのでした。

この旅は思い出深い旅でしたが、PCのトラブルで写真がほぼ全滅してしまいました。かろうじてビデオテープに残された映像がありましたのでビデオテープから切り出した画像を使いました。画質も低く見るに耐えない画像ですが、WILDな旅にはこんな写真もまたふさわしいかとも思っています。



当時はニューヨークの同時多発テロから1年半、バリ島でテロが起き、イラクで湾岸戦争が起きていました。
世界最大のイスラム教国インドネシアでのさまざまなウワサが飛び交っていました。アメリカ製サーフボードを持っていて襲われたとか、アメリカ企業のロゴTシャツを着ていて殴られたとかです。そんな中で新型肺炎のニュースも広がっている最中の旅となりました。
 成田からバリ経由でジャカルタへ。インドネシアに肺炎はまだ飛び火する前でしたが空港はマスクをした人がいっぱいでかなり不気味でした。空港からは旅行社の手配した車で6時間の夜のドライブ。交通事情の酷さはバリ島を遥かに上回ります。道は細くくねくねと曲がっていて、行き交うドライバーは皆自分がシューマッハにでもなったつもりなのか、前に車がいる限りどんな細道だろうが、対向車が迫ろうがアクセル全開で追い越しをかけて行きます。片側1車線をトラックが真っ黒な煙を吐きながら塞ぎ、その横をお客満載のベモ(スズキの軽1ボックス改造の乗り合いバス)が苦しそうに追い越していき、乗用車やミニバンがそれを追い越すという2重追い越しです。命が幾つあっても足りなくなりそうです。深夜2時、ようやくチマジャのホテル「デサ・リゾート」に着いたときはもうぐったりでした。

Wild Wild West Jawa 2003



 屋外にあるホテルのフロントでチェックインしました。ふと見上げると壁一面にゲッコーの模様があります。熱帯らしい壁紙だなあと思って近づくと、無数の本物のゲッコーが蠢いていました。部屋に入りとりあえずシャワーを浴びることにしました。バスルームのシャワーヘッドが取れてると思ったら水道管はただの竹の筒でした。不安定な湯温のシャワーを浴び、荷物も解かずに早々にベッドに潜り込みました。
今回はかなりWild & Heavyな旅になりそうな予感がしました。

Wild Wild West Jawa 2003



朝目を覚ましても、ここが何処なのか実感が湧きませんでした。西ジャワにいるのだというのは体が疲れきって重いことでようやく理解できました。
Wild Wild West Jawa 2003それでも無理やり重い体を起して波の様子を見に行きました。ここまで大変な思いをしてきたのですから少しでも波乗りのできる波があってほしいものです。
ホテルから浜までは歩いて3~4分でした。浜は大きなゴロタ石の海岸です。40年前の西湘の酒匂川河口に似ていると言われています。ただ、周りは鬱蒼とした熱帯植物に囲まれています。そして波はありました。なんと頭半~ダブルのサイズ。ハワイ流で言えば3to4ftというところでしょうか。インサイドはチューブを巻いています。5~6人のローカル・サーファーが果敢に突っ込んでいました。
それを見てますます体がドッと重くなってしまいました。良い波なのですが、初日からこれはHeavyです。

ここまで来て海に入らないわけにもいきませんので、ホテルに戻り荷物の梱包を解き、サーフィンに行く準備をしました。
初めてのポイントでもあり、インサイドはウニがいっぱいということなのでリーフブーツを履きました。
そもそもウエストジャワを選んだのはまだまだヒトが少なく波もコンスタントにムネ~カタでヘビーな波は来ないと聞いていたからです。

ダックダイブを繰り返し、やっとのことで波を潜ってアウトに出ました。
慣れたローカルたちはテイクオフに良い場所を良く知っていて、いいところから乗ってきます。
私も何本か乗りましたが、早いブレイクに捕まって激しく叩きつけられる展開。
最初のトライは結構ハードな思いとなりました。

強烈な波の洗礼を受けた初サーフの後は、シャワーを浴びホテルのレストランで朝食を摂りました。熱いコーヒーを飲むとようやく一息つけました。
Wild Wild West Jawa 2003


このホテルには売店すらないのですが、かわりにサーフショップがあります。そこのサーフィン・ガイドがテーブルにやってきました。手ごろな波が何処かにないかと聞くと、いろいろなポイントがあるようでした。早速彼にガイドをお願いすることにしました。ガイドを雇うなどというと大名旅行のように聞こえますが、レンタカー代よりずっと安上がりです。彼らはそれで生計を立てているのですし、我々トリップ・サーファーにとっても見知らぬ土地の限られた時間の中で確実に波と出会えることは大きなメリットです。リーフなどの危険箇所や潮の流れなど、安全に必要な情報も得られます。そして何より地元サーファーとの会話が出来ることが最大のメリットなのです。

 案内された所は、小さな入り江で波のサイズは腰くらいでした。これはこれで私にとっては苦手な小波なのですが、今回は少しホッとしました。海には大阪から来た若い兄弟サーファーと数名のローカルが入っていました。関西人には何処にでも出かけていくバイタリティがありますね。さて、このポイントは波数が少なくあまり乗れる波が入ってきませんが、インドネシアらしい周期の長い波です。急な日焼けを避けるため時々海からあがって木陰で休み休み波乗りをしました。何しろ陽射しは強烈で冬の日本から来た人間には Wild & Hard な土地なのでした。

Wild Wild West Jawa 2003


夕方になり、近所のお店が閉まる前に水やお菓子などの非常食を用意しておこうと買出しに出ました。こんな場所ですから何が起こるかわかりません。ホテルのまわりの集落には小さな雑貨屋のような店が幾つもありました。とりあえず一番近い店に入りました。
「Hi! Eddie!!」といきなり店の人が声をかけてきました。
私は戸惑いながらも「Hi・・・」と答えました。何で俺の名前知ってるんだ。
お店は、といっても昔の日本の駄菓子屋よりも小さいくらいの雑貨屋です。置いてあるものはミネラル・ウォーター、コカコーラ、ファンタ、粉ミルク、粉末ココア、ビスケットくらしかありませんでした。水やビスケットなどを買いました。店の人も暇なんでしょう。片言の英語でいろいろと話しかけてきます。
小さな村なのでホテルに泊る外国人のうわさはすぐに広まるようです。
ここでは娯楽と言うものがありませんから、噂話は良い娯楽なのでしょう。
ここらへんで繁盛している娯楽施設は「プレステ屋」と私が勝手に名付けたお店です。
家庭用のテレビとプレイステーションを3台ほど並べて、若者相手に金を取って遊ばせている店です。
さてホテルへ戻り、レストランに行きました。メニューはインドネシア料理、洋食、中華とありますが、どれも4種類くらいしかありません。結局普通の洋食を注文し、合わせてジュースを注文しました。

Wild Wild West Jawa 2003



料理がなかなか出てこないのはこういうところではしょうがないと諦めていました。しかし、ジュースもなかなかでてきません。15分程経って厨房からガーガーと大きな音が聞こえてきました。ようやくミキサーをかけています。そしてすぐにそのジュースは出てきました。飲んでびっくり、すごく美味い。新鮮です。パパイヤ・マンゴ・バナナなどトロピカルフルーツはメチャ美味です。後でわかったことですが、フルーツはお客の注文が来てから近所の木に採りに行っていたのでした。

注文してから食べ終わるまで約2時間。お腹もやっと膨らんだので部屋へ戻りました。
しばらくして昼間のサーフガイドたちがビール片手に遊びに来ました。
世間話をしているとガイドの一人がポケットから手巻きの紙巻タバコを取り出し火をつけました。
なにやら懐かしい香りがします。
そうです、ポレポレ島で「ナニカナ」と呼ばれている植物の葉っぱです。
誘われるまま煙に巻かれることにしました。
「おお、効く効く。」良い感じです。

夕食を食べたばかりなのにお腹がすいてきました。マンチーズという現象です。
買ってきたビスケットをムシャムシャと食べてしまいました。
こうしてWest Javaの1日目は早くも夢見心地のうちに更けていったのでした。

Wild Wild West Jawa 2003



朝起きるとベッドの横にビスケットが食べ散らかしてありました。
一枚手に取り食べてみました。
「うへ~、不味い」
昨日はあんなに美味しく感じたのに、実はとんでもなく不味いお菓子でした。マンチーズになると何でも美味しく感じるのです。
この日は同じホテルに滞在している日本人サーファーたちと行動を共にすることにしました。移動の車代などを節約するためです。大阪の兄弟サーファーとジャカルタに駐在経験のある若者といっしょにガイドの車に乗ってポイント探しに出かけました。しかし、目ぼしいポイントは波が大きすぎてクローズアウト。

Wild Wild West Jawa 2003


1時間以上走り回っても手ごろなポイントは見つかりませんでした。もはや疲れがピークに達していて、大波に立ち向かう元気はありませんでした。しかたなく昨日の入り江のポイントに入りました。今、この地域にいるサーファーは日本人の我々と5~6人のオージーとローカル・サーファーだけです。ローカルもフレンドリーです。我々も皆で同時に入ることはせず、混雑しないよう交代で入りました。

Wild Wild West Jawa 2003


 ここ西ジャワのベストシーズンは5月からです。シーズン前なので波はまだ小さいだろうと思っていました。けれど思わぬ大波に迎えられてしまいました。 ここチマジャはジャカルタに住む金持ちが週末をすごすためにやってくる場所のようです。
ホテルも週末はジャカルタからのビジネスマンの家族連れで埋まります。みんな大声をだして携帯電話でどこかと話をしていました。Wildな波と景色と日本の昭和30年代を思わせる村の生活。それと携帯電話のビジネスマン。頭の中が混乱してきます。もっとも混乱してくるのは「ナニカナ」のせいかもしれません。

小波でのサーフィンが続いたせいでフラストレーションが溜まってきました。せっかく遠くまで来たのですからやはり大きい波に乗っておかなくてはもったいない。
今朝は気力をアップさせて朝からチマジャのメインポイントに入ることにしました。

Wild Wild West Jawa 2003


波は相変わらず、頭半~ダブルです。このくらいのサイズの波は御前崎でも台風の時には立ちます。しかし、そのパワーは比較になりませんでした。
ポイントには昨日同行した日本人青年が一人だけです。彼はテイクオフに手こずり1本も乗れていませんでした。普通のサーフボードでは素人には少々難しい波です。私は大波用のセミガンを持ち出して沖にパドルアウトしました。
サーフィン映画の中に入ってしまったようなシチュエーションです。
規則正しくブレイクする美しくも威圧感のある波。
椰子の木が生い茂る海岸。
強烈に照りつける太陽。
求めていたものがすべてここにありました。

しかし、乗れません。パドルアウトだけで疲労困憊です。慎重に波を選んでテイクオフを試みますが、レイトテイクオフになって乗ってもすぐに波に捕まり潰されてしまいます。それでも1~2本は何とか乗り沖へ戻ろうとしました。
その時でした。一際大きなセットの波が入り、目の前で激しく崩れ、爆発したかのような勢いで迫ってきました。すぐにダイブして逃れようとしましたが、モロに喰らってしまいました。巨大洗濯機に入れられたようです。すごい圧力で沈められ、押さえつけられ、グルグルに巻かれました。永遠に水面に出られないのではないかと思いましたが、何とか顔を出すことができました。しかし、まさかとは思いましたが、履いていたリーフシューズの片方が足先からもぎ取られていました。
履いていたブーツをもぎ取られるパワーも恐ろしいですが、リーフシューズなしではケガの危険があるので、このチマジャ・メインポイントは乗り納めになってしまいました。
僅か3日目で大波はこりごりという状態になってしまいました。
波もWild and Hardな旅になりました。

Wild Wild West Jawa 2003


ホテルへ戻るともうぐったりでした。
そこで、庭のプールでのんびりすることにしました。今回の旅は揉まれっぱなしです。
でもここは熱帯です。4月の頭だというのに暑いです。虫は多いし、道はガタガタだし、食べ物も限られますがサーファーにとっては楽園です。

Wild Wild West Jawa 2003


しばらくしてサーフィンガイドの子がやってきたので、いっしょに泳いだりして遊んでいました。
「何処かに手頃な波はないの?」私が質問すると、彼は少し考えてから「ボートでサワルナ・ポイントへいこう」と言い出しました。グーフィーの波でサイズは胸くらいなのだそうです。ボートで一時間くらいの所にあると言っていました。ここ西ジャワのポイントは何故かレギュラーのサーフポイントばかりです。グーフィーの波は苦手ですが波もそれほど大きくないようですしたまには良いかもしれません。ボートトリップも面白そうです。ガイドの子は他の日本人にも話を持っていって皆で行くことになりました。
モーターボートで一気にポイントまで行けて、ダック・ダイブ(ドルフィン・スルー)無しで波にアクセスできます。おお、楽そう。ようやくFUNウェーブで遊べそうです。

Wild Wild West Jawa 2003


翌朝はまだ暗いうちに起きて出発しました。相変わらず体が重い。それに「ナニカナ」の影響か、頭もボケボケでした。インドネシア製トヨタ・キジャン2台にオージー1名を含むお客6人とガイドと称する地元サーファー6~7人が乗り込みました。ガイドの人数が妙に多すぎますが何人来ようが気にしていたらキリがありません。構わず出発しました。大量のサーフボードを車の屋根に積むとサーフ・トリップという気分が高まります。とてもワクワクしてきました。30分ほどで小さな漁村に着きました。「港から出るんじゃないの?」と思いましたが、この漁村で漁船をチャーターするとのことでした。ボードを持って浜に出ると、小型の木造の漁船が砂浜に引き上げられていました。ビーチにはオーバーヘッドのダンパーの大波が打ち寄せ、とても船が出せるようには見えませんでした。それでも漁師たち7~8人は船を押していました。でも船で越えられるような波ではありませんでした。我々は半ば諦めて作業を眺めていました。

「お~い。手伝ってくれ~。」漁師が叫ぶので、サーフボードを積み込んだ後、我々も全員で船を押しました。波が来たら踏ん張ってこらえ、引き波に合わせて一気に押します。ようやく船が水面に浮き上がりました。
「急げ~。早く乗れ~。」との声で、我々は船腹にしがみ付き甲板によじ登りました。
やっとのことで甲板に登りつくやいなや「ドドーーーン」という音と共に大波が船体に打ちつけました。激しい衝撃に、皆その場から吹っ飛んで甲板上を転がりました。サーフボードの山もガラガラと崩れ甲板上は惨憺たる状況でした。体のあちこちが打撲傷と擦過傷で血が滲んでいます。おまけに船は砂浜に打ち上げられてしまいました。
「みんな、降りろ!」という漁師の指示でまた船を押すところからやり直しでした。ケガした箇所が海水で沁みます。それでも皆で力を合わせ再び船は水面に浮かびました。今度はみんな必死で船にしがみついています。次々にドーンドーンと大波を喰らい振り落とされそうになりました。そしてようやく沖に出た時は到着から既に2時間近くが経過していました。
外海に出ると山のようなうねりが木製の小船を翻弄しました。ボート・トリップと言うよりボート・ピープルと言った方が良さそうな姿です。ボロボロに疲れた我々は、時々「プスプス プスン」と止まってしまう漁船のエンジンに不安をいだきながらも、ただ無事に辿り着ける事を祈るのみでした。

1時間半近くかかって船は「サワルナ・ポイント」に到着しました。そこに人は誰もおらず、真っ青な海水と夢のような美しい波が待っていました。もう皆船酔い寸前でしたから、大急ぎで海に飛び込み嬉々として波に向かってパドリングしていきました。私も少し遅れて海に飛び込みました。波に近づいていくと船から見た印象とはかなり違いがあることがわかってきました。意外と大きな波だったのです。ガイドの予想では波は胸くらいのサイズとのことだったので普通のサーフボードしか持ってきてはいません。
 ガイドの青年がまず1本乗りました。ダブルオーバー近いサイズです。しかも苦手なバックサイドです。みんなもう半分固まっていました。それでもここまで苦労して辿り着いたのです。私もガイドと同じポジションで波を待ちました。しかし、波はどんどん大きくなっていきます。必死でパドルしてもテイクオフができません。歯が立たないのでした。
 しかし、その波は来たのです。私のポジショニングにぴったりの波。ダブル半くらいです。ハワイ式に言えば5~6ftです。渾身の力を込めてパドリングしました。板が斜面をすべりだしました。滑り出したこと自体が意外に感じました。チャンスとばかりにすかさず立ち上がり、波のボトムに向けて滑り降りていきました。しかし、なかなかボトムに到達しません。波が切り立ち襲い掛かってこようとしているので浅めのボトムターンで掘れ上がった波の先へフル加速して逃げることにしました。波との競争の始まりです。今まで経験したことのないスピードです。波に乗ると言うより、板が巻き上げられないようにひたすら踏ん張って押さえつけるだけと言った方が正しいです。波に捕まって巻かれたら酷いことになりそうです。ほんの十数秒のはずですが長い長い波の壁を走りぬけ、無事波の裏側へプルアウトすることができました。体が震えるような興奮を覚えました。
 ボードに腹ばいになり戻ろうとして唖然としました。遠くを見渡しても誰も見えません。それどころか船も見えません。恐ろしくなって沖に向かって必死でパドリングしました。そこに巨大なセットの波がやってきました。ダイブしましたが、強烈なパワーでぐしゃぐしゃに巻かれました。ようやく水面に這い上がったのですが、次の波がすぐそこまで来ていました。かなりヤバイです。サーフボードを捨て、体ひとつで潜水しました。リーシュ(パワーコード)の先のボードが波を受け、強い力で足を引っ張られました。幸いにしてリーシュは切れず、サーフボードを引き寄せることができました。もしも巻かれて岸の方に行ってしまったら最後、ギザギザの珊瑚礁の上を引きずられることになってしまいます。必死でパドリングしました。長い格闘の末なんとか沖に出ることができました。遥か彼方に仲間の姿が見えました。

長い長いパドリングの末、ようやく皆の所へ戻ってきました。何人かは「戻ってこないから心配したよ」と言ってくれましたが、他の人たちは自分のことで精一杯で気づいてもいませんでした。波はますます大きくなってきました。少しインサイドに移動し、小さい(と言っても頭半くらいの)波に1本乗りました。しかしその後はますます波は大きくなるばかりで、大波を喰らわないようにひたすら沖に逃げるためのパドリングでした。ガイドたちが「8フィート!8フィート!」と叫んで注意を促します。8フィート(身長の3~4倍)の波はもう全く歯が立たない世界でした。エキスパートなら最高の波と言えるのでしょう。ガイドの連中もここでこんな大きな波に出会ったことはなく、もはや誰も乗ることもできませんでした。手も足も出なくなったので船に戻り、帰ることにしました。
 今回はビデオカメラを持ってきていたのですが、撮影をするような心の余裕はなく、すっかり忘れていました。でも、モンスターのような、しかし美しい波は一生瞼に焼き付いているでしょう。人生で最大のWILD & HARDなサーフィンを体験した一日となりました。

Wild Wild West Jawa 2003


West Javaの滞在もあと残すところ2日間となりました。今回はシーズン前のWest Javaで波をはずした場合を考えて、もう1箇所ロンボク島へ移動することにしていたからです。
ここまで波は大きすぎたり小さすぎたり。でもかつてない経験の連続でした。サーフィン・ガイドの連中が私たちを気の毒に思ったのかとっておきのシークレット・ポイントに連れて行ってくれました。ここは、お金持ちの別荘の私有地の中にあるポイントです。許可をとって連れて行ってくれました。車は幹線道路から細い私道に入り、別荘の門の前で止まりました。

Wild Wild West Jawa 2003


そこから歩いてバナナの生い茂る小道を抜けると小さなビーチに出ました。所々岩の出た白砂のビーチです。こじんまりとしていてまさにプライベートビーチという感じです。波は腹~頭のスローなレギュラーです。一番好きなタイプの波です。できれば初日からこの波に入りたかった。

Wild Wild West Jawa 2003


Wild Wild West Jawa 2003


波乗りは絶好調と言いたいところですが、昨日までのダメージが溜まって、体が思うように動きません。足がヘロヘロです。それでもボトムターンからカットバックで繋いでインサイドまで走れる波です。1時間入ったらもう体力の限界となりました。残念でした。

夕方、サーフィン・ガイドの2人がやってきて、「温泉に行こう」と言いました。どんな温泉かわかりませんが、疲れを癒すのには良い選択です。ガイドたちがオートバイを借りてきました。スーパーカブに日本のスクーターのようなデザインのパーツをつけたバイクです。アジアらしいデザインです。これに2人乗りして山道を登っていきました。例によってとんでもないライディングです。ノーヘルでガタガタ道をすっ飛ばして行きました。村に入るには幾らかの金銭を徴収しているようです。山を越え、温泉に到着しました。古い日本の観光地のように出店が並んでいんました。小さな橋のたもとに居る少年に寄付金と称する小額のお金を渡し、橋を渡りました。小川の上流では川原のあちこちから湯気とともに噴水のような温泉が2~3mの高さに噴出していました。今まで見たこともない光景です。ミスト・サウナのように霧状になっています。何百という噴水状の温泉です。川の中はお湯で、各自好みの湯温の場所に陣取り湯に浸かりました。風向きの変化により暑くなったり寒くなったりしました。大勢の地元の家族連れが来ていました。ここがもし日本なら大変有名な温泉になるでしょう。他に類をみないユニークな温泉でした。帰りはビーチで一服です。海水浴場ですが波が大きすぎて誰もいませんでした。夕日を眺めながらナニカナで締めの一日となりました。Wildだけどメローな一日を送ることができました。

遂にウエスト・ジャワの最終日となりました。思えばハードな毎日でした。でも忘れがたい貴重な経験がいっぱいできました。だからこういう旅はやめられません。今日は昼前にバリ島経由でロンボク島に向け出発ですので食事前の早朝に昨日のポイントに行きました。ゆっくり崩れるメローなレギュラー・ウェーブです。ナニカナが効いているせいかボケボケで調子はイマイチです。でも楽しめる波でした。インサイドまでロングライドできますが、もう足腰がヘロヘロでした。1時間程度であがることにしました。

Wild Wild West Jawa 2003


Wild Wild West Jawa 2003


Wild Wild West Jawa 2003


Wild Wild West Jawa 2003


最後の1本も気持ちよくインサイドまで乗ってきました。最後にリッピング技で締めようとボトムターンにはいった時でした。ボードの寸前を1m位のトカゲのような生き物が横切りました。あわてて避けてそのまま岸に向かいました。これで最後です。この旅ではあまりたくさんの波には乗れませんでしたが、思い出深い波乗りができました。また来てみたいものです。岸にあがってからガイドに目撃した生物について聞いてみました。ガイドは「コモドだろう」と言っていました。コモドってコモドドラゴンのことでしょうか。ジャワにいるとは聞いたことがありません。大きなトカゲのことを「コモド」と言う俗称があるのかもしれません。後日、ガイドが撮影してくれたビデオを見たらそのシーンが映っていました。コモドよりも色が濃いですし、背中にギザギザがありました。どう見てもそれは「クロコダイル」です。ワニの棲む海で波乗りをしていたとは。やっぱりWILDなWEST JAVAなのでありました。




削除
Wild Wild West Jawa 2003