2015年12月27日

光り輝く島(スリランカ)2015

1日目 3月12日

今年も冬の寒さを避ける3月の海外トリップに出掛けました。

今回のトリップのメンバーは、
SPL(サーフ パンデミック ラボ)のイワモト所長、ジミーN澤、そして私ドクトル エディ タチカワのダメダメトリオ。
我々SPLは、人類を存亡の危機に陥し入れる、エボラ熱、デング熱に匹敵するサーフ熱ウイルスを培養し、世界に拡散し感染者を爆発的に増加させることを目的とした悪の秘密結社なのだ。

今回は記念すべきSPLの第一回海外トリップとして、サーフ熱ウイルスの培養に最適な、暖かまったりお手頃波が、毎日毎日打ち寄せるスリランカの某ビーチを目指しました。
ただ、このビーチへ滞在するツアーを企画しているサーフツアーの会社が見つかりませんでした。
そんな折、バンダアチェのブログの件でメールのやり取りをしていたサーフトリップの老舗中の老舗OMツアーの佐藤さんに話してみたら、特別なツアーを組んでくださいました。
宿泊ホテルまで指名した我儘な要望を聞いてくれた佐藤さん川本さんにSPECIAL THANKSです。



私は2012年。2013年についで3回目のスリランカ。
いつも独りなので新幹線でしたが、今回は所長と取締役が迎えに来てくれました。
静岡を5時30分に出発。



朝のラッシュ時の首都高ですが、用賀で混んだものの中央環状線開通のおかげか、谷町JCTもすんなり通過。


レインボーブリッジもあっさり越えて、



予定通りに進み、成田の手前のパーキングエリアで時間調整。



今回利用するパーキングは空港の出発ロビー前までクルマを取に来てくれる業者。



順調に進んでいますが、荷物がどっさりはサーフトリップの宿命ですね。



スリランカ航空のカウンターはお客も少なくまったりムード。
バリ行のガルーダやハワイ行のデルタと比べて緩い雰囲気でいいです。



スリランカ航空の成田⇔コロンボ直行のUL455便は去年の夏からAIRBUS A320-300の新機材が導入されました。



エンジン音が静かで気が付かないうちに空の上でした。凄い進歩ですね。



スリランカまではジェット気流に逆らって9時間55分のフライト。
でも、お客さんは4割程度しか乗っていないので、アテンダントにお願いして一人2席確保させてもらいました。新型機材はシートピッチも若干広がっているようで、ハワイ便のデルタのジャンボ機と比べ圧倒的に快適に過ごせました。



10時間近い太陽を追いかけるフライト。日本時間の深夜をまわる頃、ようやく到着しました。



コロンボ市街の夜景。電子機器の使用規定が変わって、禁止されていた着陸態勢時のデジカメの使用が緩和され、地上を撮ることができるようになりました。



到着です。



空港でOMツアーが手配してくれていたガイドのハイエースにボードを積み込み、
最近急速に建設が進んでいる高速道路を飛ばして目的地のビーチへ向かいましたが、

やっぱりビールが無いと生きていけないダメダメおやじ3人組は、ガイドのJayaさんにお願いして



コロンボ郊外のロードサイドのバーに突入。
今朝起きてから24時間以上の移動の途中ですが、



すっかりいい気分で満たされていたのでした。


2日目 3月13日

朝になりました。
寝たのが1時半(現地時間)過ぎだったのに夜明け前に目が覚めました。



これが今回我々が寝泊まりするパラダイスビーチクラブ ミリッサの2階建てのファミリー・カバナス。
今回目指したビーチはメジャーなヒッカドゥワではなく、約1時間20分ほど南に下った南部のミリッサなのです。

ヒッカドゥワよりも閑静な田舎。
ここも1970年代にヒッピーが集まるビーチとして広まり、現在は閑静なビーチリゾートとなっています。
私としては賑やかすぎるヒッカドゥワはもういいかなという感じなのです。

そして何よりも魅力なのはミリッサのまったりとしたライトブレイクとロケーションでしょう。



バンダアチェのワイルドな無人島のポイントブレイクとそっくりのロケーション。
しかもビーチは砂浜で、モデルさんみたいなスタイル抜群のヨーロッパの美女たちがいっぱいなのです。
まさに、パラダイスビーチそのもの。
ホテルはポイントから200mほどのオン・ザ・ビーチ。
部屋からポイントが見える立地条件も最高です。



さっそくボードケースからサーフボードを取り出しました。
所長は海外トリップには無くてはならないジェリー。ロペス
ジミーはDoc.Bushwacker
私はタカヤマ。スコーピオン。
そうなんです、いつもは小波用のセカンドボードのスコーピオンですが、今回はまったり波なのでメインになっています。



ポイントにはほとんど人がいないので、ゆっくり支度をして、



3人バラバラ気ままにエントリーしました。
海に突き出た岩場の向こう側のコンパクトな湾に沿ってブレイクするライトブレイクを目指しました。



満潮いっぱいだからでしょうか、ダラダラブレイクですが、波の周期が14秒台という台風波以上の周期のため水量とパワーがあります。

初日ということでサーフ中心になって写真はほとんど撮りませんでしたが、



ジミーのライディングは撮れました。

体が慣れてないトリップ初日には丁度良い波のサイズ・質・波数、そして曇っていて暑すぎないというぴったりの条件でした。

最初2人いたヨーロッパ人が上がったら、我々3人だけの貸切になりました。
ただ、波数が減ってしまったので朝ごはんを食べるために上がりました。

上がるときに・・・・やってしまいました。



足にウニを刺したジミーの手当てをする所長。
インサイドは一面にウニだらけ。
私も地雷原を腹這いになってボードに乗ったまま通過しようと思ったら、フィンが岩に当たりバランスを崩して手をついて、中指に1本刺さってしまいました。
まあ、あらかじめ知っていた地雷原だったので、さほど酷いことにはならなくて良かったです。



着替えてから、ホテルの庭を横切り、



旧ホテル棟前のプールサイドを通り



新しいレストラン棟へ。
Trip Adviserの投稿写真では椰子の葉で葺いた大きなあずま屋が写っていたのですが、建て替えられたようです。



このホテルは朝夕の食事(ブッフェ)付。楽チンです。
ヨーロッパ系のお客さんばかりで、日本人はおろかアジア系と思われるお客さんはほとんどいませんでした。



コンチネンタルの朝食ですが、



チキンカレーが半端じゃなく激辛だったそうです。
私は絶対無理ですが、



所長は汗をかきながら完食。




寒くはないですが、雨が降り出しそうな天気で、ビーチも人がまばら。



でも、ここは本当にパラダイスかもしれません。


朝食後、天気も曇りがちで雨もぱらつく天気なので、部屋の中で読書をしたり、ブログを書いたり、あるいは昼寝をしたりと3人バラバラで過ごしました。
以前の2回のトリップは1月でしたので雨はほとんど降りませんでしたが、3月という季節は季節の変わり目なのかもしれません。



ホテル前のビーチから東側を見ると長いビーチが続いています。
でも、こちらには波は立たず、海水浴の白人が曇天にも関わらずいました。
風が吹かなければ水温が高いので寒くはないですね。



こちらが西側。サーフブレイクのある方です。



15時を回ったところで、昼寝で爆睡していたジミーがムクっと起き上がりサーフすると言います。所長はもうシャワーを浴びて呑んだくれ準備体制なので、カメラを持って撮影係りに。





私も所長の後を追ってブレイク前のビーチに行くと、



所長はビーチバーの席から撮影中でした。



そう、ライオンビールを目の前に置いて。



ということで、



私も昼間っからビーチでビールとなりました。
ビールジョッキ片手にサーフィンを観るなんて最高ですね。




ジミーN澤、やる気まんまん。



サーフィンなんて観てないじゃん。
酔っ払いですから、すみません。



やる気満々。




時折、大きい波が打ち寄せると、テーブルの下まで波が押し寄せるビーチバー。
酔っぱらってますから、動こうともせず、楽しんでます。

と、その時、重大なことに気づきました。

「カ、カ、カギが無い!」
ウエイターにも
「I lost my room key.」と伝え、探すのを手伝ってもらいました。
そして、諦めかけた時でした。



ウエイターの彼が、波打ち際に流されているキーを見つけてくれました。



いやあ、最高にハッピーなスリランカの旅。


3日目 3月14日

昨夜は酔っぱらった上にホテルの美味しい夕食で、早々に熟睡。
今朝も暗いうちから所長が行く気満々。
バンダアチェでは混む前の真っ暗なうちから行動した私ですが、ここではあまり混まないのでのんびり出発。



今日のボードラインナップ。
所長はジョシュ・ホールのクアッド・エッグ。
このボードは私も気持ちよさが際立った乗り味のボードだと思っています。



今日は白人が一人入っていて私と所長でポイントには3人のみ。



事務局長がなかなか来ないと思っていたら、岸から写真を撮っていてくれたのでした。
ありがとうございます。



今回、何故にスコーピオンがメインボードなのかというと、
ここ数か月、自分のサーフィンを少し変えようと思っているからなのです。
我々世代のサーファーにとって憧れの技といえば、オフ・ザ・リップのような当て込んでいく技。どうしても当て込んでいく意識は消えないのです。
でも、今の主流はカービング。

勘違いしている人が多いのでここに書いておきますが、
カービングとは、curving(曲げる・カーブする)の意味だと思っている人が多いのですが、
サーフィンのカービング(スキーもそうらしい)はcarving(彫刻する・えぐる)の意味なのです。

タイラー・ウォーレンのDVDを買ったのも、ログの乗り方を見たかったのではなく、ショートやミッドレングスのクアドラテック・フォーミュラやエッグでカービング(えぐる)する乗り方をじっくり研究したかったからなのです。

そこで、テールを押し出しやすいラウンド・ピンテールのスコーピオンをメインに使おうと思ったのでした。



ミリッサの波はカットバックで繋ぐタイプの波なので、カービングの練習には良いのではと思っています。



やがて、ジミーも沖に出て来ました



所長も好調です。



やがて、こんな美女もやってきて、



ジミーN澤もウニ・ショックを忘れ、ハイテンション復活。


午後は昼寝&読書
所長とジミーは昼寝の後、海に。
私はブログ書き。
今日はもう入らなくてもいいかなと思っていたら、二人がいい波だったと満足顔で帰って来たので、海に入ることにしました。



今日のボードはサブに持ってきたDoc.Bushwacker。
どこかいつもと違うことに気づいていただけたでしょうか。



これが従来の姿。

このボードも2年経ち、デッキはボコボコ、フォームも黄ばんできたので、
出発前に



マスキングして自分でスプレーして色を付けたのです。
だいぶ痛んでいるので失敗しても惜しくないですから。



実は最初のオーダーシートにはこの色でブラシを入れてもらうはずでした。
ステンドグラス・カラーですから、窓枠は茶色でしょう。
ただ、ダークブラウンの予定でしたがアクリル塗料の色が無く、コーヒーブラウンになりました。

というわけで、シングルフィンでパドルアウトしました。



ビーチバーで呑みながらジミーN澤が撮影してくれました。

が、

前の波が邪魔したり、




いいサイズのセットを一人きりの完全エディ・シフトで乗って、会心のロングライドをきめたのですが、間に合わず乗り終わったところだけ撮っていたり・・・・(笑)

サーフィンの撮影は慣れないと難しいですから。
まあ、それもまた笑えるネタです。



上がってきてすぐ、ビーチバーでビールを手渡されました。
最高に気持ち良いです。

そして、夕食。



サタデーナイトですから、レストランにはマリアッチが入っての生演奏付き。



今日もてんこ盛り。
どれを食べても美味しいので最高です。



オジサン3人組にやたらと話しかけられたイケメンのウエイター君。
きっとこのオヤジたちは変態だと思ってるに違いない。

南の島で脳みそ溶け出して、こんなんですから。





さて、明日はスリランカ南部のポイントチェックに回ります。



4日目 3月15日

朝は日の出前に所長と二人沖に出て



海の上で御来光。
所長が防水カメラで撮影してくれました。






快晴の天気になりましたが、波は小さくなりアウトサイドはダラダラブレイクに。




以上、ワタクシ。

ジミーN澤が来たところで私は上がり、陸上から撮影に専念しました。



いつも私と所長と並んで大きいセットを狙うイギリス人エリック(所長が勝手につけた名前)
爺さんに見えるけど、多分同年代なんでしょうね。



所長



知らない外人



ジミー



知らない外人



パラダイス・ミリッサ



小牧から一人で来たというシンジ君





所長




シンジ君



ジミー



朝飯前のモーニング・セッションでした。

サーフを満喫し上がってきたら、
ツアーガイドのJayaさんが来ていました。
こちらのトラブルで何時にピックアップしてもらうかの連絡が取れなかったのです。
少し待ってもらい、朝食を食べてからミリッサ周辺のサーフポイントのガイドをお願いしました。



日曜日なので通学通勤のラッシュはありません。



Jayaさんはこちらの人の中では運転が慎重な方ではないでしょうか。



最初に東へ向かい、南部地域の最後の都市マータラへ。
ここはマータラ・シークレット



ここは南のうねりを正面から受ける場所のようで、ミリッサより1~2サイズ大き目の波。
きれいなライトもレフトもありました。



入口左側のレフトが人気でした。




日曜日なのでローカルの少年たちも入って行きました。ちっちゃなボードで巧みに乗って行きます。

残念ながら東風が入り込む時間帯になってしまったので入るのは止めました。



マータラの市街地を抜け
マータラのビーチブレイクは車窓から眺めただけで通過。



整然とした中心街から外れると、いい雰囲気で雑然とした町並みとなりました。



ここも完全なビーチブレイクのようで、サーフィンスクールもあるメッダ・・・何とかというビーチ。
レギュラーもグーフィーもあり日本人には手ごろな波かもしれません。



どこも人が少なく、ビーチではこんな光景が。

もう一か所レオ・・・何とかというポイントも教えてもらい、マータラに引き返しました。



ここはバス・ステーション(ターミナル)。
この街もインド洋大津波で甚大な被害を出した街で、比較的新しい建物が目立ちます。




街はカーニバルがあるようで、たいへん賑わっていました。



西に戻る途中、飲み物を買うためにクルマを止めてもらい



うはあ、ジミー、砂糖と添加物のカタマリ飲んじゃうの?(笑)



ミリッサを通過し、今度はミリッサよりも西のメジャーなポイント巡りとなりました。
ここはホテルも多いウェリガマ。




初心者向きのビーチブレイクです。
東からサイドの強い風が入る条件下でしたが、意外とできていました。
ここは過去2回のトリップの時もチェックしましたが、ダンパーの時が多いです。



ウェリガマ・ベイの西端タプロバンの島の先にはたくさんの漁船が係留されています。



そしてその西の岬を回ると日本人サーファーには最も人気のあるプランテーションのポイント。



先ず、ブレイクポイントが他よりも近く、それほどのサイズには上がらない形の良いブレイクです。
一昨年に訪れた時はハラ~ムネで形良かったのですが、20人近くの人で混雑していて入りませんでした。



どこも風が入って良くないので、完全に観光客気分の我々。



最後に訪れたのは、私のお気に入りポイントのカバラーナ。
当初のトリップ計画は私一人でカバラーナ・ビーチホテルに滞在するというものだったのです。
ここはサイズアップした時に8フィートまでホールドし、このあたり一帯では最も大きな波に乗れるポイントと言われています。




この日もオンショアのダブルくらいのセットが入っていました。
完全に観光気分。

その後は、お土産の紅茶をちょっとだけ買い、



ゴール市街のクリケット場を見降ろす丘の上に。



ここはユネスコ世界遺産のゴール旧市街です。
オランダやイギリスがこの地を植民地化して統治するための、いわゆる要塞都市です。




彫像の衣装や顔を見るとイギリス人もいますが、インド系のグルカ兵などの傭兵が主力だったのではないでしょうか。



城壁内の街並みには高級ホテルが何件も建っています。




樹齢300年以上のバニアン・ツリー(菩提樹)があちこちに。
西洋列強による植民地支配の歴史をこの木々は見てきたのでしょう。



こちらは世界史の教科書で誰もが知っている会社の建物。
東インド会社の社屋です。今は博物館として当時の姿を残しています。



市街地は特に暑いのでアイスクリームを食べようということになり、ゴールのビーチブレイクの正面にある人気のこのお店へ。



残念ながらアイスが無かったのですが、パンがものすごく安くて美味しかったです。

日曜日なので地元の初心者がレンタルボードでサーフィンしていました。



コガッラ湖近くのハーブガーデンにも案内され、観光は終了。



この人たちは観光よりもサーフバーがお好き。



5日目 3月16日

今日はのんびりdayの予定。

とはいえ朝は



夜明け前にパドルアウトして沖に一番乗り。



波のサイズは下がって、今日明日が底らしい。
もはや写真を撮る気にもならず、軽く汗を流す感じで朝のサーフィンを終了。
アウトのラインアップは今日もほぼ私と所長。少しの間だけ英国人エリック?がいただけでした。
エリックは3週間のバケーションを終わり、明日帰国するそうです。
3週間のバケーションなんて憬れますね・・・って去年のハワイは3週間だった(*^^)v

日本にいる時のように本数を乗らなくても充分に満ち足りてしまいます。



9時前に上がりレストランへ



このホテルPARADISE BEACH CLUB MIRISSAでの驚きは、食事の味のレベルの高さ。
食い物にはウルサイ所長も大満足の質の高さ。
量に関しては全てブッフェなので食べ放題。
レストランは清潔ですし、従業員のレベルも高く、
私が今まで泊まった海外のホテル(安ホテルばかりですが)の中では最高レベルの満足度ではないでしょうか。
しかも、ビックリの低価格(ホテル棟ではなくて、一番古くて安いバンガローですけど)。
今回の旅はハワイ以上にリラックスできる環境に恵まれました。



レストラン(3階)のテラスから見える景色。



午後は東風が吹きサーフはぐちゃぐちゃ。
そんな時はプールでリラックスです。
プールも改築されたばかりで清潔。よく手入れされています。
広い庭のヤシの木の木陰で読書をするのも良いです。



そんなホテルに似合わない風体の面々ですが、こちらで知り合った小牧のシンジ君を交え気怠い午後のサーフ話は尽きません。
そうそう、シンジ君がこのホテルに入ろうとした時、セキュリティが厳しく、入れてもらえないと電話がかかってきました。



グーフィー・フッターのシンジ君とも知り合った訳ですし、
明日はライト・ブレイクしかないミリッサを離れ、レフト・ブレイクのミディガマに行こうということになりました。




ミリッサのビーチは本当にハイレベルなオネエさんの比率が高いです。

夕方は、



またまたビーチバーに行って野菜サラダをつまみにビーチでビール。
所長とシンジ君はこちらで人気のアラビアや北アフリカの酒アラック。



オンショアなのに急に海に入ると言い出した事務局長のサーフィンを見ながら



酒盛り。
このロースト・チキンはシンジ君の分。
30歳代、事業でたいへんな苦労をしてきたイワモト所長。30歳代の頑張る若者を見ると応援したくなるのでここは所長のオゴリです。



ジミーも上がってきてビーチでビール。



そして夕食は8時ころから。つまり、朝食と夕食だけの1日2食の生活なのです。
レストランのある新館のエントランスホールはとてもゆったりとした快適な空間を象徴しています。



夕飯は定番メニューがほとんどですが、毎日テーマがあるようで、タイ料理だったり中華料理だったり。どれもまた美味しかったです。
ただし、スリランカのカレーは激辛なので所長たちは美味しそうですが、私は多分呼吸困難になるだろうと思うのでやめています。



夜も辺りのホテルよりも静かで照明も最低に落としていて、ハイレベルな大人のホテルですが、リーズナブルという他人には教えたくないようなホテルです。


6日目 3月17日

今朝はまだ真っ暗な5時半にホテル前に集合。
シンジ君が2台のトゥクトゥクと共にやってきました。



屋根にボードを積んで出発。
次第に明るくなっていく街道を突っ走り、



約20分ほどでミディガマに到着。



すぐに準備をして沖にパドルアウトしました。
最初は2人の白人と3人だけ。
3本乗ったところで美しい日の出となりました。

この頃にはみんなもパドルアウトしてきましたが、白人も増えてきました。
総勢十数人。

コンスタントにブレイクする左奥はリーフが浅く、テイクオフで急に掘れて来る波質。




でも時々、奥に居たらまともに喰らってしまうワイド気味に入ってくるセットの波が来ることが分かったので、奥の激戦区から離脱し、エディ・シフトの逆バージョン狙いに作戦変更。



セットの波は一旦ブレイクすると強烈なスープのパワー。
ハマってしまうとたいへんです。



数は少なかったですが、丁度良いワイドなセットが何本か入り、久々に大きな斜面の波に乗ることができました。
奥のテイクオフ位置がクローズしてしまう波なので競争なしでテイクオフ。みんなが必死でパドルアウトしてくるのを見下ろしながら広い斜面を下りていきます。
波は弛めのゆっくりとしたブレイクなのでレールを使ってできるだけ大きな弧を描くようにカットバックを繰り返す感じで乗り繋ぐと坂井港のアウトサイド・レフトの倍くらいの長さのロングライドができます。長く続く斜面が美しいレフトの波でした。

大満足でパドルで戻る途中、イワモト所長がセット波に乗っているのが見えました。
波の周期が16秒くらいあるので、小山のような大きな水の塊。
美しい広い斜面を滑らかに乗っている姿を見て、所長もずいぶん上達したなあと感心させられました。



ポイントブレイクに20名以上の混雑なので逆エディ・シフトでじっくり待って、大きいセットのみに狙いを絞り何本か乗ることができました。
大満足で早めに上がりました。
こういうのを『サーフィン』というのだと教えられたような気がしました。



シンジ君のナイスなショットが撮れました。

いい波でした。

でも、恐ろしいことに、この波のラインナップにレンタルボードの白人の初心者が10人近く紛れ込んでいるのです。



日本人ではまずありえませんが、右も左も見る余裕のない直滑降の初心者がこの波に突っ込んでいくのです。
ライディングは初心者が浮かぶ位置や動きを予測しながらスラロームする必要がありました。

所長と私は早々上がりましたが、後の二人が戻ってこないので、
私は湾の右沖でトロトロとブレイクしているミディガマ・ライトも試してみることにしました。

「1本だけ乗ってすぐ帰ってきますから」と所長に伝えパドルアウト。



沖に到着するやいなや、意外とあっさりと波が来て弛い波を岸近くまでロングライド。



1本だけの予定でしたが、きれいなオネエさんが一人でいるので・・・・



結局3本乗ってしまいました(*^^)v
その後、オネエさんが上がってしまったので私も上がり。



ジミーN澤



まだまだ修行が足りんな。







・・・・・・・What's happened.



帰り道、前を行くジミー&シンジのトゥクトゥクのリアウインドウに注目



デへへ、世界に広がるSMILE FOR SURFの輪



世界的なパンデミックの陰謀、進行中です。


昼間はプールでのんびりしたり、読書をしたりで過ごし、



夕方5時をすぎるとお出かけです。



いつものサーフ・バーへ三々五々集まります。
当然一番乗りはイワモト所長ですけど。



波を眺めながら今日もライオンビールと



野菜のサラダ。
メニューには様々な野菜サラダがあり、ハズレもありましたが、大当たりの美味しいサラダもあるのです。



4人で盛り上がっているところに、このバーのオーナーの従兄弟というラシャンが加わりました。
さらに彼の弟もやってきました。



ラシャンは日本で長く働いていたことがあったということで、日本語がかなり上手いミリッサローカル。



比較的静かな白人グループばかりの中で、



酔っぱらいまくりの騒ぎまくり東洋人オヤジ軍団。
アラックの勢いもあって大盛り上がり。

現在は某情報誌出版会社の実務を統括する堅実な取締役のジミーN澤の若い頃の悪事の数々が暴露されたりと、この3人はやっぱり若い頃、社会のレールを踏み外したくて冒険を試みている同志だったことがはっきりしました。

組むべくして集まった3人なのだと実感しましたね。
それにしても、3人それぞれ、個性がバラバラ過ぎ。(笑)



そしてそして、イワモト所長の陰謀により、シンジが店の奥に連れて行かれました。
本人はかなり嫌がっていた風なんですが、



ライブバンドに飛び入り参加で、ボブ・ディランを歌うシンジ。
シンジはプロのロック・ミュージシャンなのです。



初共演のバンドマンたちとの息もぴったりで、
拍手喝采を受けていました。



演奏が終わり、テーブルに戻って来たシンジに
素晴らしかったですと、白人の女性ファンが早速やってきて記念撮影。

シンジ、やって良かったねえ。

このモテぶりに、自分たちの年齢を感じるSPL3人衆でした。


7日目 3月18日

今朝も夜明け前から沖に。
何といっても朝一は誰もいないので貸切。



昨日よりも若干サイズアップ。
今日はDoc.Bushwackerのシングルフィンで入りました。
一番アウトでデカセットだけを狙いました。



シングルフィンはボードに体重を預けるように乗ると気持ちよく走ります。
今日も3人で満喫。
リーフの大きい波にはもう少し重くて細めのシングルフィンが欲しくなりますね。
今日も人が増えてきたのを見計らって上がりました。
旅も終盤、脚の疲労が出てきて、後半はテイクオフ後のドロップで2連発のワイプアウト。
最後の波もカットバックでテールが抑えられずフィンアウト。



インサイドはアクションできる波ですが、岩が恐い。



シンジは今日ミリッサを離れ、ヒッカドゥワへ。途中のミディガマでいいサーフィンができたようです。






ジミーはリーフ波がまだ読み切れておらず、ちょっと苦戦中。
周期15秒のリーフ波なんて、経験したことが無いのが普通。
海底地形とうねりやカレントを想像して、波の挙動変化を予測できるようになればバンバン乗れるはずですが、1年目は修行と思いましょう。






サーフィンから上がると、すぐにプールでひと泳ぎ。
気持ちよさ最高です。

午後は、ミリッサ周辺の探索に出掛けます。


午後はロシャンがミリッサの漁港やシークレットビーチを案内してくれるというので行ってみました。



ホテルの少し先にある道路沿いに漁船の船体が置いてありました。
ロシャンは漁師、これは彼が造った船体なのだそう。
ここはロシャンの土地で、日本人の友人と共同で日本食レストランを建てる計画があるのだそうです。料理が美味しいミリッサで本格的な日本食が食べられるとなると、魅力倍増ですね。



ロシャンの仲間のトゥクトゥクで港に行ってみました。



伝統的な漁船がたくさん停泊していました。



その一方で、このハーバーはホエールウォッチングの基地でもあるのです。



丁度、ロシャンの従兄弟のホエールウオッチングクルーズ船帰港するところでした。
しかし、ロシャンの従兄弟って何人いるんだってことで聞いてみたら、
お母さんの兄弟だけで7人いるから両方合わせると大勢の従兄弟がいることが想像できます。
日本とは正反対の大家族の絆が残る文化なんですね。



岬に立つ高級ホテルにも行ってみました。



絶景です。
所長もジミーも息子さんの結婚式はここでやりましょう(笑)



そして、道なき道をシークレットビーチへ向かいました。



トゥクトゥクでも入れない道となり、



民家の洗濯物の下を潜って、坂を下り、



突如現れた美しいビーチ。



誇らしげにスリランカ国旗を握るロシャン。



スリランカのマジョリティであるシンハラ人のシンボルのライオンです。
誇り高き民族の象徴。



記念撮影




ビーチの木陰には



サーフバーがあって昼間からビーチでライオンビールです。

しかし、こんな辺鄙な場所で商売になるのか(笑)



しかし、リゾートの喧騒を好まないナチュラル派が山を越えて歩いて来るようです。



帰りの途中で、ロシャンが自宅へ案内してくれました。
広い敷地を持つ立派な家
ロシャンは資産家だったのか?(笑)



中も広々、テレビではこの国の一番人気のスポーツ、クリケットの中継番組。
この家も10年前のインド洋大津波に襲われ何とか残ることができたようです。
あの時は辺り一帯、みんな流されてしまったのだそうです。
しかし、大津波で東日本大震災以上の死者を出したスリランカですが、人々が震災のことを笑顔で話せるほど復興が進んでいるというか、震災の痕跡がほとんど残っていないように感じます。



夜は、いつものサーフバーへ。
なんだかいつもと違うなと思ったら、誕生日パーティがあるとのこと



1歳の誕生日を迎えた女の子を抱くのはサーフバーのオーナー。



花火をやったりでパーティは盛り上がりました。



バースデーケーキのお相伴をいただきました。



ロシャンのお母さんと弟も参加していたのでご挨拶しました。
今宵もスペシャルな夜でした。

スリランカ最高!



酔っぱらって隣席の女の子3人組に切り込んでいったジミー

ジミー「Are you from England?」
女の子「No!France」

その隣の席の女の子にも
ジミー「Are you from Canada?」
女の子「No! Germany」

所長と私の暴走を停めてくれる堅実な実務派として参加してもらったつもりが、
先頭を切って暴走しています。

誰か、止めて。


8日目 3月19日

スリランカ滞在も残り2日



今日も夜明けのサーフィン

今日は先客がいました。
スウェーデン人のエンジニア。今日がミリッサ初めてだそうです。







今日はサイズアップしました。
いつものテイクオフの場所は掘れ掘れで刺さりまくりなので少し位置をずらして波待ち。







所長&ジミーのシェアライド、うまく撮れました。

今日は数本乗っただけで大満足、お腹いっぱいです。

毎日それほどの本数は乗っていませんが、
乗っている距離を合算すると普段の日本でのサーフィンの30本分くらいは楽に乗っていると思います。



サーフ後のプールが気持ち良いです。

朝食を食べに行こうとしたら、



庭に人が集まって上を見上げています。



椰子の木の剪定業者が入っていました。
器用に椰子の木を登っていきます。
椰子の実が落ちるたびにドスンと音がします。



当ったらイチコロですね。



午後になって、ジミーがやる気満々で海に出て行きました。



ローカルのジャマイカ君の動きは軽快そのもの。



彼もいつもサーフバーにいます。




ジミーもリーフ波が分かってきたようで、快調に乗ってます。



おお!





今日のサーフバーではミリッサスタイルサラダを注文しました。

明日はこの旅最後のサーフィンです。

最終日も同じように朝のサーフィン、昼寝、読書、etc.
陽が傾くとひとりまたひとりとビーチバーに移動し、ビールでぼーっと。
幸せな日々が送れるミリッサのトリップ。
最高でした。トリップとしては刺激が少ないかもしれません。
でも、トリップにも2種類あっていいと思います。
一つ目は好奇心と冒険のためのトリップ。
そしてもう一つは心の癒しのためのトリップ。
ミリッサは後者のトリップには最高のデスティネーションでしょう。



スリランカは1983年から、ごく最近の2009年まで内戦状態でした。
資料を調べると、2008年~09年にかけての最後の戦闘では死者2万人と言われるかなりひどいことが起きたのですがほとんど報道されなかったと思います。政治的なことは書かないブログなのでこれ以上は書きません。知りたい方は自ら調べてくださいね。

しかし、戦争終結で一挙に平和が訪れたスリランカ。
少なくともこの南西部では人々は活気に満ちています。
ようやく最近になって真の意味での光り輝く島になったと言えるのかもしれません。

海外へトリップし、日本では見られないもの、体験できないさまざまなものを,、皆さんにもその目で見てほしいと思います。肌で感じて、そのうえで「良い」「悪い」を判断できる目を養って自分の考えを持ってほしいと思います。旅で出会う人・物・事象、それぞれがあなたにとってかけがいのない経験として残ります。
私にとって旅は、遊びではなく、勉強です。それは遊び以上に楽しい遊びなのですが。
そのためにも訪れる国の歴史・政治・経済・人々のくらし、宗教などは勉強してから行って欲しいと思います。




  


2013年12月28日

光り輝く島(スリランカ)2012

光り輝く島へ

母親が亡くなって喪に服していた1年。
3年程の間ではありましたが、単身実家に帰り母の介護をした日々も懐かしく感じるようになっていました。

考えてみたら、両親が亡くなり、子供もいない私は、もはや気楽な存在。
若い頃夢見たサーフボードを持った放浪旅もやろうと思えばできることに気づきました。

2007年のハワイ以来、どこへも行っていなかったのでボードを抱えて一人旅に出ようと思い立ちました。
手始めに申し込んだツアーは南台湾。
ところが、旧正月とバッティングして帰りの航空券が手に入らず、急遽目的地の変更を余儀なくされました。
そこで、スリランカが候補地に浮上しました。

思えば、これは運命だったのでしょう。
1984年26歳の時、初めてアジアに一人でサーフトリップに行った先がフィリピン。
何の情報もなく、アメリカのSURFER誌の記事が頼りでした。
フィリピンを2週間駆け廻り遂にサーフを見つけられずに成田に戻ったという苦い経験でした。
その帰りの飛行機(パキスタン航空)にサーファーが乗っていました。
話を聞くと、スリランカで8feetの波に遭遇したとのこと。

これがスリランカでサーフィンができると知った最初の出来事でした。


2012年1月15日 DAY 1 成田へ

朝早いので駿府町からボードを担いで駅に歩いて行くつもりでしたが、
妻がクルマで迎えに来てくれたので助かりました。ありがとう。



静岡始発電車で品川へ。
ここでしばらく待機して乗り換えです。
東京駅で乗り換えると延々と歩かなくてはなりませんが、品川乗換えだと乗換えが簡単です。



成田エクスプレスで空港へ



これまで見れなかった景色も現れました。
初めて見ましたが、さすがにデカイ。

成田に着いて、チェックインしました。



なんか、飛行機ガラガラみたいです。ラッキー。



成田にもこんなトラムがあるんですね。知らなかったです。
いちばん外れの87番ゲートへ。



駐機中のこのスリランカ航空の飛行機で
いよいよ出発します。
時刻表では13:30発の予定なのですが、偏西風の向かい風で遅れるのが嫌だから
12:40にはゲート閉めて出発してしまうそうです。

やっぱりお客少ないみたいです。


かつてセイロンと呼ばれたスリランカ。
独立後に国名をセイロンから一般人が使う呼び名のスリランカに改めたとのことです。スリランカの意味は「光輝く島」なのだそうです。



搭乗口に並ぶような人もいなくて、とてもユル~い感じに搭乗が始まりました。
搭乗したスリランカ航空445便はエアバスA340、搭乗率は3割強くらいのゆったりめ。



霞ヶ浦を越えて飛び立ちました。
これが↓エコノミークラスの椅子なのですが、



こちらのブランドに反応する友人が多いので(笑)写真をアップしておきます。



ただし、いくらRECAROのシートでも9時間以上の座ったままのフライトは辛いところです。



お楽しみはこれしかないので、ブロイラー状態です。
ちなみに遅めのランチはビーフにしました。ピンク色のお蕎麦が泣けます。

長い道中のために普段は見ないサーフィンの雑誌を2冊買ってきましたが、広告のコピーを含めて隅から隅まで全部読んじゃいました。もっと本を買ってくれば良かった。



太陽に向かってのフライトだったので長い長い昼でしたが、ベトナム上空でようやく陽が沈み始めました。



遅い夕食、今度はチキンにしました。何で、どら焼きなのか・・・。

1時間後、遂にスリランカの主要都市コロンボに着陸しました。

この国の入国手続きや書類はコロコロ変わるので有名らしいのですが、
1月1日から書式が変更された上、ビザが必要になったらしくて、空港でビザの取得
やらなにやらで1時間以上かかってしまいました。

空港を出ると宿泊予定のマンボウゲストハウスのガイドが迎えに来てくれていて、ハイエースに乗ってヒッカドゥアに向かいました。
これがまた、インドネシア・ジャワ島の交通事情を思い出させるアジアらしい運転で・・・。



なんとか事故もなく(凄いことだ)無事にマンボウゲストハウスに到着しました。
現地時間の午後11時過ぎ。日本時間だともう明け方でした。
ゲストハウスは日本の民宿のようなランク付けでしょうか。
マンボウは清潔でサービスも行き届いていると評判です。
ただ、設備など日本と比較してはいけないのでしょうが、お湯がちょろちょろだったり、石鹸などのアメニティは全く用意されていません。それでもスリランカでは良い方なのでしょう。
交通事情と言い、ウエスト・ジャワのデサ・リゾートの時と同じような感じです。

とりあえず、夜も遅いのでシャワーを浴び、明日に備えて寝ることにしました。



1月16日 DAY 2 ヒッカドゥア

エアコンが無く換気も悪い部屋でしたが、意外と夜は涼しく天井のファンも必要ありませんでした。
夜が明けたので外の様子を見てみました。



マンボウゲストハウスの前はこんなに海が迫っています。
日本の海の家よりも波打ち際に立っています。



ゲストハウスの左側にヒッカドゥワのメインポイントが見えます。
今日はゆっくり疲れを取りコンディションを整えるためのウォーミングアップくらいに押さえておこうと思います。



しかし、頭オーバーでダブルくらいありました。

またもやトリップ先で波に当たりすぎ。
見知らぬ土地の初めての波でこれはちょっと・・・・・。

またまたウエスト・ジャワの時を思い出させる展開です。

まあ、とりあえず冷静にということで



朝ごはんです。
このロケーションで飲む朝の熱い紅茶は、さすがに美味い。最高です。



旅費に含まれている朝ごはんです。残したら失礼なのでお腹いっぱい。デブになりそう。

海の中もだんだん人が増えてきましたが、
波は相変わらずでかい。
食事中、マンボウのガイドのリーダーとして有名なババちゃんが挨拶に来てくれました。
フレンドリーな人です。
明日はもっと波が大きくなる予想だそうです。

どーする俺。


食後、部屋に戻り写真をブログサイズに加工したり、文を書いたりしてお腹が落ち着くのを待ちました。
ところが、あるはずのWiFiが飛んでいません。
これではブログアップもメールチェックもできません。

さて、どうしたものかというところですが、
このエリアは朝は風がないのですが、だんだん陽が高くなるにつれオンショアが吹いて波のコンディションが悪化すると聞いていたのでブログをやめて海に入ってみることにしました。

とりあえずはAviso JJ Rocket Fish 6'2"をセットアップして階下へ降りてみました。



浜に降りようとしたらテラスで食事中だったガイドの子が近寄ってきてリーフの位置やチャンネルの潮流の具合などを教えてくれました。
至れり尽くせりです。やはり短期間の海外サーフトリップで面倒見の良いガイドの存在は大きいです。



マンボーゲストハウスの軒先の砂の中から出てきました。
今年最初の孵化だそうで、大急ぎで海に向かって走って行きました。
うまく沖にゲッティングアウトできたでしょうか。
こんな大自然の営みが目の前で起きる驚きの島です。

さて、教えられたチャンネルからちょっとビビリながら私もゲッティングアウトして沖に出ました。最初は末席で他の人たちを観察。
ポイントには最大で10名程度、しかもライトとレフトは完全に分かれていて5名ほどで波をシェアすればよい状況。サーファーはローカルと白人だけ、それも英語圏じゃない人たち。日本人はいませんでした。
掘れるライト側の一番アウトでたまに入ってくるワイドなセットを待つ、いつものエディ・シフトで待ちました。

最初のうちコンスタントに波が入ってきたので他の人が間に合わないような大き目セットに照準を合わせました。



入ってくるセットはどれも完璧なAフレームの波。
ひときわ大きいのを狙いましたが、意外なほどテイクオフはイージー。
斜面がもの凄く広い波で、こういう波は仙台新港の大波以来でした。
カットバックで繋ぐのですが、あまりに面が広いのでどのくらいの半径でターンすれば良いのか悩むような波。1本ごとに回転半径を変えてちょうど良いカットバックのタイミングを計りました。
最高にご機嫌な波でした。
他の人もガツガツ波を取る人はおらず、ニコニコ笑顔で波乗りができました。
でも、凄いスピードと脚にかかる重力で、油断してたらボトムでコケました。
落ちた時の衝撃がきつく、痛かったです。
脚への負担が大きく、ライディング中に2度も脚がつる事態も起きました。
まだまだコンディションも完全ではありません。

でもとりあえず、初日最初の波乗りとしては出来過ぎでしょう。


とりあえず波に乗れたのでお腹いっぱいと言う感じで満ち足りてしまいました。



少し、周辺の様子も見ておこうと海岸を散歩。



メインポイントの先には広いビーチが広がっていて、ヨーロッパからの長期バカンスの人たちがたくさんいました。
若い人もお年よりも。
このエリアはホテルではなくゲストハウスが集まっている地域です。



ヨーロッパの人たちはお金をかけずに長期滞在して、ほんとうにのんびり楽しんでいるようでした。



こんな漁民のカヌーが何艘も置いてありました。
アウトリガー式のカヌーは南太平洋からインド洋まで海上の道を作り文化を運んだのですね。ハワイやポリネシアの技術や文化がインド洋のモルジブあたりまで繋がっているのです。



遅めのお昼をマンボーゲストハウスのテラスレストランで頂きました。
ここだけWiFiの電波が届いていたのでメールチェックやブログアップができました。海外では食べ物を注文しても出てくるまで時間がかかるので、メールチェックにはちょうど良いです。



お昼はパイナップル・ミルクセーキとチキンのフライドライス。
ジュース類は日本のどんなお店で飲むよりも新鮮で濃厚で美味しかったです。

午後はのんびりして過ごし、夕方になりました。



メインポイントのグーフィー側はタルめで初心者向きと言われていますが、
波が大きいとかなりハードになります。



いやはや、デカイ波に当たってしまいました。
明日は当初から予定してあるとおり、ガイドの車で周辺の各ポイントをチェックする予定です。



スリランカのサーフィン初日は、美しい夕陽で暮れていきました。



さて、スリランカといえばカレーです。
スリランカでは1日3食カレーが常識。
レストランのメインメニューはカレーと聞いていたので
この1週間ほどは日本でもカレー断ちしてきました。

初日の夕食はやはりカレーにしなくてはと思いました。
こちらのカレーはかなりスパイシーと聞いていたので少しマイルドな感じでと注文しました。



日本で食べるカレーライスとは別物。
カレーはやっぱりチキンだろうと(日本最初の新宿中村屋のカレーはチキンカレー)いうことでチキンを選びました。
右奥がカレーですが、日本の感覚だとご飯の比率が大きすぎですね。
こちらでは手でご飯をつまみ、カレーを付けて食べるので、いわばタレのような感覚なのでしょう。
カレーの手前、ご飯の横にあるのがスパイスで、舐めると異常に辛かったです。
これを好みの量だけカレーに混ぜて辛さを調整できるのです。
こんなにたくさん出てきましたが、小さじ半分で充分に辛かったです。

甘くて濃厚なパパヤジュースでようやく中和できました。



1月17日 DAY 3 プチ・トリップ

さて、一夜明けて現地2日目の朝。
今日はガイドの車で他のポイント巡りです。
ガイドはハッサン。ババちゃんも朝6時に来て起こしてあげるからと言っていたのですが、予想通り、6時半になっても来たのは



この犬だけ。
別に何かをねだるわけでもないのですが、誰もいないレストランで私のすぐ側に来て丸くなって寝ていました。犬も人懐っこくてホスピタリティに溢れている島なのですね。



6時45分になって、ようやくガイドのハッサンが来ました。
空港に迎えに来た、あの超高速運転手とのコンビで南のサーフポイント巡りに出発しました。



朝のラッシュアワーなので、通勤・通学の人たちで町は賑やかでした。
この国の道路は信号機が極めて少ないうえに、交通ルールは典型的なアジアスタイル。ラッシュアワーの交通事情はどうなってしまうのだろうと興味津々でした。



クルマも多いですが、バスや鉄道を待つ人の姿も多く、学校の近くの横断歩道や主要な交差点には警察官が大動員されていて交通整理していました。



こんな婦警さんも道路の真中で交通整理していました。
みんな運転が荒いので命がいくつあっても足りないような気もしますが、恐くないのでしょうか。でも事故の現場を一回も見てないですし、混沌のように見えても現地の人にとっては普通に安全確保できてるんでしょうね。

ゴールの市街地を抜け、ミディガマ、ウェリガマといったポイントをチェックしていきましたが何処も波が大きすぎてクローズアウト寸前。



最後に街道から未舗装の横道に入ってクルマは止まりました。



今回私が一番楽しみにしていたポイントのメリッサです。
椰子の木に囲まれた美しい小さな湾にコンパクトなレギュラーブレイクがあるのです。
が、しかし、今回は湾の沖合いで大ダンパーがブレイク。
湾内でも再びうねりに戻った波がブレイクしていて数人のサーファーが入っていましたが、ロングボーダー憧れの美しいブレイクは見る影も無く諦めました。



初心者向きのマッシーなビーチブレイクのウェリガマに戻りましたが、こちらもダブルオーバーの大ダンパー。波乗りできる状態ではありませんでした。



一番最初のポイントのミディガマに戻ると遥か沖にサーファーの姿が見えました。
このレギュラーが魅力的に見えましたが、ガイドのハッサンが左側のグーフィーの方を推すので



こちらに入ることにしました。
小さい波で頭オーバーくらい。
セットはダブルくらいでしたが、昨年秋の四国トリップ以来、バックサイドのサーフィンが好調なので大丈夫でしょう。
高知のNポイントのグーフィーにも似ていますが、サイズで2倍、水量では4倍はあるでしょう。



ポイントまでかなりの距離があるのでライトニングボルトのシングルフィンで入ることにしました。



この砂浜からハッサンが教えてくれたコースのカレントに乗ってパドルアウトしました。
ポイントには上手なローカルの子供と白人が3人だけ。
小さな波を狙いましたが、時々広い湾全体がクローズするようなダブル以上のセットが入ってしまい、ダックダイブ(ドルフィン)しても通用しないような状況。

それでも頭半くらいのスローな長~いグーフィーの波を何本も乗れました。
台風時の坂井港の奥からブレイクするグーフィーのような波で、長さは2倍はありました。

ムネ~アタマくらいだったら凄いファンウェイブでしょう。



入っているサーファーの中で上手い人はこの女性くらいでした。
これで波の終わりごろのサイズです。

1時間半ほどでお腹いっぱいになり上がりました。
その後、2ラウンド目のために休憩しましたが、体力の消耗と体の痛み(大波に叩かれて首の筋肉が痛くて)沖のトリプルサイズの大ダンパーを見て戦意喪失し、帰ることにしました。



さて、クイズです。この海の中に立っている細い棒は何のための物でしょう。




この棒は釣りのためです。もっともこちらは漁業としての伝統の釣りですが、
ストルト・フィッシングというのだそうです。
このあたりの風物詩というか、観光の一環でもあるようです。



ミディガマのサーフポイントのまん前にもゲストハウスがあり、ヨーロッパのサーファーたちが滞在していました。
このあたりはヨーロッパからのお客が多く、それを対象としたゲストハウス(民宿)がたくさんあります。
彼らは地元民の足であるトゥクトゥク(ミニ三輪車)をチャーターして幌の上にボードを満載してサーフポイントに出掛けるスタイルがほとんどで、お金を掛けずに地元に密着してバカンスを楽しんでいます。



今回の旅は初めてのスリランカで短期なこともありサーファー向けの安いパックツアーですが、彼らと比べたら大名旅行。日本人の平均的な旅スタイルと彼らの旅の楽しみ方では根本的に違いが感じられます。
日本人ももっとお金を掛けずに地元に密着して長い休みを過ごせるような社会構造を作っていかないと、これからの低成長・デフレ・高齢化の日本で、生きていくことの満足度を向上させることはできないのではないかと思います。
ここに来ている人たちは言葉の感じからEUの中でも債務国であるスペイン・ポルトガル・イタリア・ギリシャなどではないでしょうか。
安宿・安レストランでも楽しそうで賑やかな白人の家族連れをみていると日本人もこういう部分を学ばないと、社会情勢に心の部分が蝕まれてしまうような気がします。



波はトリプルのダンパーなので午後まで波乗りをする気にはならず、途中にあるゴールの街へ向かうことにしました。
途中、ガイドのハッサンが道端の椰子の実売りの屋台で止まってくれました。
これはゴールデン・ココナッツで、木に成っているときから実がむき出しの品種です。
屋台のおじさんが蛮刀のような鉈で手際よくスパッと実を切ると



こんな感じで中のジュースを飲むことができます。
そして飲み終わると



鉈で二つに割って中の白い果肉を食べることが出来ます。
この時、左の実の中にある殻の切れ端を鉈でサッと作ってくれるのですが、
これが殻の内側のアールにぴったりのスプーンになるのです。
甘くて美味しかったです。



小さな集落の平均的なイメージでしょうか。

スリランカではやたらに人にカメラを向けるのはタブーとされていると何かで読んだことがあります。写真撮影は普段よりも慎重にするようにしました。



こんな風景もありました(笑)
クルマは日本のトヨタが圧倒的で、ハイエースやカローラの比率が高いです。
数は少ないですがプリウスもホンダのインサイトも見かけました。
後は、インドのTataも多いですね。話題の格安カーのnanoもタクシーで走っていました。



これがスリランカ南部の典型的な漁船です。
港がなくても砂浜から漁に出られるのでコンクリートで漁港を作る必要もありません。伝統の技術は環境にも優しいんですね。



これがゴールの旧市街地を囲う城壁です。ゴールはスリランカ南部最大の都市。
1589年と言いますから日本の戦国時代の終わりごろポルトガルによる最初の砦が築かれ、後にオランダが植民地支配の拠点とし、その後イギリスに変わりました。
東洋への海上交通の要衝ですから西洋列強が重要拠点として支配したのは当然でしょう。巨大な城塞都市となりました。実はこのゴールの旧市街は世界遺産に登録されています。歴史的に重要な遺産なのです。
ここスリランカは東西海上交通の重要地点にあり地政学的にも世界の重要な場所。
紀元前3世紀には王朝文化が栄えた高い文明を持った民族なのです。日本なんかよりずっと歴史と文化がある民族。しかし、悲しいかな地政学上の重要地点だっただけに異民族、とりわけ西欧列強の侵略を受けてきた歴史があります。



シンボルとなっている時計台です。
スリランカは400年近く異民族によって支配・抑圧されてきたわけです。
その時代の統治者がスリランカ国内の多数派シンハラ人と少数派タミル人との軋轢を利用したに違いありません。
つい2年前の2009年まで長い内戦が続きましたが、今はテロもなく本当の平和が訪れたようです。スリランカの平和な未来は始まったばかりと言えます。



ゴールの城壁から新市街地を望むと目の前にクリケット場が見え、クリケットに興じる人たちの姿が見えました。ここは大英帝国の支配下でしたからね。その奥の真新しい建物はバスターミナルです。

そこで思い出すのが2004年に発生したインド洋のスマトラ沖大震災による大津波の映像です。
遠く離れたこのゴールの新市街も巨大津波に飲み込まれました。



映像の手前がバスターミナルで、背景にゴールの城壁と時計台が見えますね。
日本の大震災の7年前のことですから、この教訓を日本でも生かせていたらなと思います。
ちなみにスリランカではこの大津波で3万人以上の人命が失われました。
実に日本の大震災の2倍の被害者数です。

しかし、ざっと見ただけではそんな大災害が起きた街だとは到底思えないような賑やかさでした。
植民地としての抑圧、長く続いた民族間の内戦、そして大津波。
でもスリランカの人々は貧しくとも逞しく明るく生きているのに驚かされました。
尊敬すべきはテレビに出て文句を言う評論家達ではなく、こうした一般庶民の生き様でしょう。

南側に大きな湾が望めます。この湾と新市街の低い地形が被害を大きくしたのですが、
大航海時代には多くの大型帆船がこの湾に浮かんでいたことでしょう。






こんな風にレストランでブログ書いてます。



1月18日 DAY 4 休息日

波に叩かれ、体がボロボロ。あちこちが痛みます。胃もちょっと痛いので(本当は食べ過ぎ)
夕食を一回抜くことにしました。
でも、空腹に耐えられないと困るので近くのスーパーマーケットで買出し。



スーパーと言っても、日本で言う駄菓子屋程度の規模で商品も田舎の駅のkioskよりも少ない小さな商店です。
珍しく愛想の悪いオヤジが店主で、インドの映画に出てきそうな感じ。

スリランカ人はホスピタリティ溢れると言っても、こういうオヤジだって当然いるでしょう。

お店の写真なども撮りたかったのですが、そんな雰囲気なので撮れませんでした。

さて、買ってきた物の中に好物の
チョコレート・チップ・クッキーがあったのですが、
そのブランド名に気付き思わず笑ってしまいました。



Munchee BISCUITS(マンチー・ビスケット)

そういう時、私は甘いビスケットに走っちゃうんです。。

今回の旅では波乗りに集中するためにお酒も煙もオンナっ気もナシです。

夕方、iPhoneでメールを打とうと思い2階のテラスに出たんです。夕食を抜くのでレストランは避けました。2階のテラスは端っこのごく狭い範囲でしかWiFiの電波が届いていないのです。
そこにフランス人の女性が座っていたので少し離れたところに立ってメールを打っていました。
そうしたら「夕陽がきれいよ、あなたもここに来て座って眺めなさいよ」と英語で話しかけられてしまいました。



でも、さっきまで旦那が座ってましたから「いや、いいです、ここでも見えますから」と言って固辞しました。
旦那が戻ってきて変に誤解されるのもイヤですし。
でもねえ、ビキニのトップを緩めてるからって、谷間を手で押さえながら話しかけるのやめて欲しいなあ。覗こうなんて思ってませんから(汗)

スリランカは仏教の戒律が厳しいそうです。
ヨーロッパのバカンス客が多いのに、国の法律でトップレスも禁じられたそうです。この国で危ないことは避けましょう。



1月19日 DAY 5 メイン・リーフ

昨日は体のあちこちが痛くて体を起こすのも結構辛い1日でした。

それでも休養が効を奏して、痛みも取れ完全復活できました。
真っ暗なうちから起きてヒッカドゥワ・メインリーフの一番乗りを狙いました。



昨日までのトリプルセットは消え、見た目は半分以下にサイズが落ちたように感じましたが、1ラウンド目は大事を取ってライトニングボルトでパドルアウトしてみました。残念ながら1番乗りではなく先客が一人いましたが早起きは値千金です。



サイズが下がったとはいえ頭半、ピークはダブル近くありました。
重いライトニングボルトのレトロシングルフィンで正解でした。
このサイズの波だとスピードが出るのでAviso JJでは浮きあがりを押さえ込むのがたいへんなのです。細くて浮力の無いパフォーマンスボードか重いレトロなボードが大きな波には向いています。
日本の普段の波では軽いボードの方が乗りやすいのですが、ここの波はボードの重さが必要と感じました。
風は無く面はグラッシー、パーフェクトなシェイプのヒッカドゥワならではの波でした。
上の写真を拡大すると



まだまだサイズがありますね。
レギュラーの大き目を狙ってテイクオフして、昨日見た上手い人がやっていた掘れたセクションでカットバックを試みてみました。
マシンのように規則正しい波なので同じ場所で同じ事をまねてみることができるのです。リップぎりぎりで大きくカットバックしてポケットに入りましたが、もうちょっとのところで抜けられず潰されました。
でも、ちょうどパドルアウトしてきた白人サーファーが、
「ワォー、凄かったよ」と言ってくれました。
ポイントの雰囲気も良いです。



しかし、あっという間に続々とサーファーが集まってきて混雑状態に。
こうなると雰囲気もギスギスしてきます。

1時間ほどで1ラウンド目は終了。
体を動かしたので体調も非常によくなりました。

朝食後、2ラウンド目に出ました。



人は一挙に20人以上。
ポイントブレイクに20人は限界を超えた人数です。

2ラウンド目はAvisoで入る予定でしたが、作戦を変更。
波を観察していたら、15分に一本くらいワイドに入ってくる大きな波があり、それには誰も対応できずにいました。
そこでライトニングボルトで一番アウトのレギュラー側の端、エディ・シフトで波待ちする作戦にしました。



滅多に入らないワイドセットを確実に捕らえられる位置取りをする一方、
メインリーフに連続セットが入り、メインの上手い連中が次々に乗って空いたところに後方から回り込んで忍び寄り、
4本目5本目あたりのセットを取るという作戦。
パドルもテイクオフも早いボードならではの作戦です。

波はやや落ち着いてセットで頭半くらい。
テイクオフのエリアも狭まって人が集中して来ました。

でも、私は一人外れで待ちの体制。

そうしたらローカルサーファーが日本語で
「そこ 波 ないよ、ここ来な」と呼んでくれるのです。
おせっかいですが、嬉しいですね。
「日本人、珍しいよ」「5年前いっぱいいたね」
「いま、日本人、お金ないね」

よく知ってますね。私も大笑いして返すしかありませんでした。

そうなんです。この混雑の中でも日本人の姿が無いということは、今ヒッカドゥワにいる日本人サーファーは私だけかもしれません。

実は、正月から先週までマンボーには15人の日本人が宿泊していたそうですが、ほとんどが帰ってしまい、現在ここにいる日本人はババちゃんの奥さんやスタッフの奥さんとその友人だけなのです。
そこでマンボーの主要スタッフもアルガンベイのマンボーハウスの補修に出掛けてしまいました。



2ラウンド目も作戦がほぼ的中して本数は少ないですが大きめセットは乗らせてもらいました。
こちらも1時間ほどで上がりました。

波が下がると同時に、今度は浅瀬のリーフにぶつかる危険もあるので集中力が残っているうちに上がりました。


1月20日 DAY 6

旅も終盤



いつも変わりない風景ですが、今日は波だけが違いました。
波がほとんど無くなってしまったように見えます。

今朝は本当に1番乗りを目指して波が見えるか見えないかの暗がりをAvisoでパドルアウトしました。
さすがに今日は一番でした。でも2本乗ったところで2番から5番までもが到着。
今朝の挨拶は
"Good Morning........No Wave.

計測波高は80cm以下しかないようですが、周期は12秒以上あるので



ヒッカドゥワの波は腐っても鯛です。

日本の波情報の表記なら、ムネ~カタ~アタマ ◎80点というところでしょうか。
悪くても日本の最高水準の波がブレイクしています。



朝一はヤル気満々の比較的乗れるメンバーが揃っているうえ波数は少なめなので、
静かなポジション争いもあります。
私はその反対反対を狙って空白のスペースを見つけて小刻みに動き回り、誰とも競わずに波を取っていくスタイルで結構乗らせてもらいました。

今日も1時間弱で上がりました。
短時間で止めるのは、自身のコンディションのためもあるのです。
初日に2回、昨日も1回、Avisoに乗っているとき軸足が攣ってしまいました。
今日は肩も痛み出してしまいました。
歳をとるってこういうことなんでしょうね。嫌ですねえ。

パドリング肩とでも言うのでしょうか、パドルのし過ぎで炎症を起こしているのでしょう。
救急法ではこんな時、氷で15分間冷やします。
ほら、野球のピッチャーがベンチへ引っ込むと氷の袋でアイシングをしてますよね。
肩を酷使することによる炎症(内出血)の止血のために20分以内で氷で冷やすと早く炎症を抑えることができるのです。
氷はないので15分間冷たいシャワーで肩を冷やしました。



陽が高くなってくる頃には朝のメンバーは上がってしまい、
波乗りを覚えたばかりのファンボードのバカンス客に替わりました。
でもこの人たち恐いもの知らずというか、頭サイズのピークから突っ込んできて乗り切ってしまうのです。白人の多くはライディングはヘタクソでも筋骨隆々でパドル力があり侮れません。



そんな人たちの合間を縫ってローカルの子供たちが軽やかに波乗りをしています。

波が小さくなって、ますますゆっくりとしたユル~い時間が流れるヒッカドゥワです。


終盤になり波乗りをできるだけやっておこうと
朝一の1時間、朝食後1時間、夕方5時から1時間というスケジュールで動いていました。

朝食のため部屋を出たらお隣の部屋の方にばったり。
昨夜遅くに到着した千葉のご夫婦。初めて日本人のサーファーと出会いました。



朝食後のサーフィンといっても午前11時頃からです。午後はオンショアが吹き始めますが午前中は風もほとんど吹きません。
マンボーゲストハウスの正面にもサーフポイントがあるのですが、よほど砂が付いている時でないとなかなかブレイクしない厚いブレイクです。
マンボーチームが団体で入っているとき以外はいつも1~2名しか入っていないので、入ってみることにしました。

マンボーのスタッフの目の前なのでこちらの実力を知ってもらうには良い場所です。Avisoが高価だということはスリランカのサーファーも知っています。ただの金持ちオヤジだと思われないためにもAvisoを乗りこなすところを見せないとね。

波が小さくトロトロなうえ、滅多に入ってこないコンディションなので波を読む力としっかりパドルしてテイクオフでき、しかもトロ波でも加速できるテクニックがないと乗れません。

まあ、なんとか何本か岸まで繋いでメイクできたので、スタッフの方たちにもそこそこに認めてもらえたでしょう。



午後はひたすら体を休めます。部屋の前は広いテラスになっていてのんびり昼寝ができるようになっています。



マンボーでは部屋の中に閉じこもっているよりもここでのびのびと昼寝したほうが気持ちが良いのです。
ゲストが昼寝していることよりもスタッフが寝ていることの方が多いですが・・・(笑)

そうそう、ここでよく読書をしている若い日本人女性を見かけていましたが、スリランカ人スタッフの奥さんかと思い、ガイドのババちゃんがいつアルガンベイから戻るのか知りたくて声をかけたのです。
そうしたらそうではなくて、彼女は2ヶ月前に会社をやめてスリランカに来て家を借りて長期滞在しているのだと聞いて驚きました。
凄い行動力ですし、家を借りるといってもどうやって探したのでしょう。かなりの情報収集力、交渉力、他人とのコミュニケーション能力と度胸と愛嬌がなくてはよその国の人たちのコミュニティには溶け込めないでしょう。
でもこういう人って日本の会社社会には溶け込めないんですよね。
学歴や資格ではなく個人の能力を持ったこういう人材を会社に繋ぎとめておけない日本の企業の人事制度や企業風土が残念に思います。
こういう女性の友人が何人かいましたが、日本に戻っても派遣かアルバイトくらいしか働き口がないのが現実なのです。もったいないですね。こういう人たちが日本で能力を発揮できないなんて社会的損失だと思います。
なんてことを考えながら、だらりと弛緩して午後を過ごす私です。



午後3時を過ぎると散歩に出ます。



マンボー前の砂浜も大波が消えたと同時に日に日に復活してきました。



マンボー前から少し離れると砂浜は広くなっています。
ヒッカドゥワのエリアの中でも砂浜が狭くなっているのは沖でサーフィンができるリーフがあるメインリーフからマンボー前だけなのです。やはり波の力しだいなのですね。



ヒッカドゥワにはホテルもありますが、多いのはヨーロッパの長期滞在者向けのゲストハウス





ビーチ沿いのゲストハウスは質素で設備も貧弱のようですが、それぞれ雰囲気のある建物が多く、どれも泊まってみたくなる様な佇まいです。
スリランカは知る人ぞ知る歴史的デザインホテルの宝庫なのです。
ゴールの城壁内にはアジア最古のホテルを買い取ったアマングループのホテルもあります。

夕方5時からは1時間弱、メインリーフに入りました。
これまで透けて見える海底のギザギザ珊瑚のせいでミスして転ぶ恐のある技に消極的だったのですが、ようやくリラックスしてメイクできるようになってきました。最後の一本は掘れた斜面を抜け次のセクションでリッピングを掛けたのですがリップのパワーがあり過ぎて波の上に弾き出されちゃったのです。そのままフローター気味に着水できて、2度とできないエアリアルをメイクできました(笑)。まあ、体のバランスが非常に良くなってきたから転ばなかったのでしょう。日本の波では絶対無理です。
でも、明日が最終日なんですよ。せっかく調子が上がってきたというのに残念です。



最後の日没は見事なゴールドから真っ赤に変化する海でした。



1月21日 DAY 7 最終日

とうとう最終日になりました。



今日も暗いうちにヒッカドゥワ・メインリーフにパドルアウトして一番乗りを果たしました。すぐにドイツ人(たぶん)夫婦が来てしまいましたが、挨拶したのをきっかけに和気藹々といい波を譲り合いながらハッピーな時間を過ごしました。3人で「ワオー!見事な日の出だ」なんて叫びながら真っ赤な太陽が椰子の林の中から上がってくるのを見ました。



30分ほどは本当にハッピーな時間を送れたのですが、隣の部屋の日本人夫婦が来た直後に入ってきたイタリア人(そんなふうに見えた)4人組ががっつきサーファーで、急に波取り争いが始まってしまいました。あのドイツ人夫婦も堪らず帰ってしまいました。



これは、こいつらの仲間に加わってしまった方が争わなくて済むなと思ったので話しかけてみることにしました。イタリア人用の話なら車ネタでいけそうなのでとっさに考えたところで話しかけてみました。

Good Morning.where you guys from?

当然、「イタリー」と返事が来ると思っていたのですが、

France

と返ってきてしまいました(大汗)
・・・・・何話せばいいんだ・・・・とりあえず、ビアリッツはいい波が来るみたいですね。とか、ボルドーなんですか・・・ワイン美味いですねとかなんとか取り繕い、そこから先は何言ってるかわからないので、「え、聞こえないんだけど・・・・あ、波来たよ」なんて調子で話したおかげで、とりあえず私の狙う波は横取りされずに済みました。
ヨーロッパのサーファーは筋骨隆々でパドル力も強く、ラテンの血が燃えるのかとてもコンペティティブなのです。プロサーフィンの世界の上位44位までに日本人は一人も入っていないのですが、フランスやスペインをはじめとしたヨーロッパ勢は入っていますから。日本と比べてもサーフィンのレベルは断然フランスの方が上です。



朝一も1時間ほどで上がりました。
今回、もう一回メリッサに行きたいと思っていましたが、もう波乗りは充分にしたという満腹感なのでまたの機会にしようと思います。



後はのんびり過ごそうかと思っていたらアルガンベイから帰ってきたババちゃん兄弟とお二人の日本人の奥さんが赤ちゃんをあやしながらバーカウンターにいました。
肌の色が本当に黒いので最初はびっくりしますが、よく見るとババちゃんもお兄さんも目が大きく鼻は高く掘りは深い、インド・ヨーロッパ語族のアーリア系の顔。かなりのイケメンです。

写真はサーフトリップワールドのHPより

食事をしたらボードを片付けようと思っていたのですが、
今日が最後だからもう一回行ってきた方が良いよとババちゃんが薦めるので、
最後にもう一回波乗りに行くことにしました。
肩の痛みと脚力も限界にきていましたが、最後ですから。



もうあまり気合が入っていなかったのでグーフィー側の小さめをリラックスして乗りました。そうしたら隣の白人サーファーが話しかけてきました。

「どこから来たの?」
「日本です」
「あんたは何処から?」
「イタリアです」

ビンゴです、用意してあったネタを取り出しました。

「おお、イタリアですか、私の友達がランチャ・デルタに乗ってるんだ、それも12年も愛し続けていてね」
「ランチャ・デルタかい、ノーマルなのかそれともラリーかい?」
「そう、ラリー仕様だよ。あちこちパーツを変えてるんだ」
「ラリーなら4WDか?インテグラーレか?」
「そうだ、インテグラーレだ。」
「おお、グレート!」

ちょっと尾ひれを付けてしまって話してますが、どうせイタリア人相手なんでそのくらいデカく話してもいいでしょう(笑)
陽気な奴で歌を歌いだすやら、私の目の前でわざと派手にコケてみたり楽しいイタリア人を絵に書いたみたいな彼のおかげで周りのサーファーも彼の仲間には波取り争いはしてこないのです。
おかげで私も最後のサーフィンを楽しく乗ることができました。



この波が15分に一回くらいレギュラー側に外れてワイドに入ってくる波です。
メインリーフの中央で波待ちしているとグーフィー側しか間に合いません。
これを私だけレギュラー側に外れて待っているのです。
この波のおかげでオイシイ思いもできました。
スリランカの波乗りは楽しかったです。終了です。



2階の部屋の前のテラスでのんびりしていたら、先日のフランス人夫婦が去った後空いていた部屋の前で白人男性が一人でボードを修理していました。リペアキットを持っていないかと尋ねてきましたが、あいにく持ってきてはいません。

彼はニュージーランド人なのですが、中国で仕事をしていて休みを取ってきたのだそうで、ニュージーランドはオークランドに自宅があるそうです。

「オークランドはガーデン・シティって言われているんだよね」
「そうさ、美しい街だよ」
「私はマス釣りも好きだから行ってみたい場所なんだ」

なんて話が弾みました。

私ももう少し長くここに滞在できれば、一緒に波乗りに行ったりして良い友達になれたかもしれません。ハワイのマウナロアに一緒に登ったハワイ大学の恩師マーシャル・パーマーを思い出しました。
一緒にトゥクトゥクに乗ってメリッサで波乗りしたら楽しいだろうな。
ニュージーランドにも行ってみたいし、中国の海南島で落ち合うのも面白いかも。



やはり8日間(現地6日間)では足りませんでした。
ようやく波に慣れてきた頃でしたし、
これからどんどん友達ができてきそうな雰囲気でした。
残念ですが、時間切れです。
でも、また必ずスリランカに行きたいと思います。



ヒッカドゥワの町にいると平和そのものの楽園に感じるスリランカですが、この国も数々の問題点を抱えています。



これはゴールの街の駅ですが都市部では近代的な建物が建ち、賑やかで豊かさを感じます。
ただ、身近に感じられる問題として現在の日本と同じく電力問題が深刻です。
数年前から日常的に地域ごとの輪番制による計画停電が行われていています。
現地の最終日は土曜日だったのですが、午前9時半から夕方4時半まで完全に停電していました。
しかしながら、レストランも調理はガスで、冷蔵は氷を使って普通に営業しておりました。ただ、フレッシュ・ジュースはミキサーが使えないので作れませんでした。
この国では人々がそれなりの対応をして乗り切っているようです。



隣のゲストハウスの屋根を見て気付いたのがこれ。
大型の黒いポリタンク。
停電しても24時間お湯が出たのはこのおかげでしょう。
ハイテクでなくても省エネは可能だという好例でしょう。

この国の面積は北海道の約8割の広さ。そこに約2000万人が暮らしています。
総発電能力は約200万キロワットですが、需要を完全に満たすには250万キロワット必要だそうです。静岡県300万人の電力使用量よりも遥かに少ないですね。それで2000万人がなんとか暮らしています。多分、我々は彼らの10倍は電気を使っているのでしょう。

なぜ、そんなに発電量が少ないかというと、水力発電がメインなのだそうです。
かつて日本のODA(政府開発援助)で30万kwの石炭火力発電所を建設しようとしたところ、大気汚染に反対する住民運動で頓挫したそうです。現在では中国の援助で強引に石炭火力発電所が建設され稼動しているようでが、環境に関する意識の高さにも驚きます。
どんなに電力が足りなくても原子力には頼らないでしょうね。

この国には7つもの世界遺産があります。伝統の中で文化的に非常に洗練されてきた民族なのではないでしょうか。この国の行く末はわかりませんが、日本以上に文化度が高い国なのかもしれません。



毎度おなじみの風景ですが、



最終日もまったりしたいつもの時間が流れていきました。



毎日午前中にはこの地元の子がマンボー前にやってきてずっと波乗りをしています。
体重も軽いんでしょうが、とても軽快に乗っています。



技も特訓中です。
ジャンクな波でしか練習させてもらえないのかメインリーフには行きませんが、
ダラダラの波で上手く乗りこなしていますので、5年10年後には凄いことになっているでしょうね。
とても熱心に練習していました。



こちらの犬は暑さに強いというよりも暑いところが好きみたいです。
日陰もあるのですが、直射日光の当たる砂浜にわざわざ寝てるんです。



こんな風なヨーロッパの美女が多いです。



日陰で新聞を読むこんなオジサンもいます。



マンボーのスタッフはサタデイナイト・パーティのために流された砂をレストラン前に盛り上げる作業中。



バーの前は金髪美女の溜まり場。

なんていう風景が日常の風景です。
物価も安いし、食べ物も美味しいし、人もフレンドリー。
来ているヨーロッパの長期滞在者も穏やかだし。

もちろん波は有りすぎるくらいあったし。
これ以上言うことは無い場所でした。
いろんな場所へ旅しましたが、スリランカは私のレベルのサーファーには超A級のデスティネーションでした。
もっと長くいたかったです。

最後にババちゃんがビールをおごってくれました。
スリランカの国民的ビールのLionビールです。



スリランカの多数派のシンハラ人のシンボルはライオン。
一方、少数派タミル人の鎮圧された反乱軍はタミル・イーラム解放のトラ。
民族問題はちょっと複雑な気持ちになりますね。
でも、平和な今、Lionビールは美味しかったです。



とうとうヒッカドゥワを離れる時が来ました。
帰り道も無法状態の公道グランプリ。
約3時間半の恐怖の時間でしたが無事空港に到着。



空港でも日本人は少なく、目立つのは旗を持った添乗員についていく中国人の団体旅行客でした。
成田行き直行便はやはり3割ほどの搭乗率で快適でした。



最後だし、機内食ならカレーで大丈夫だろうと頼みましたが、
どひゃ~、やっぱり思い切り辛かったです。

咳が止まらなくなりそうでした。


光輝く島2012はこれで終了です。
今回のスリランカで1984年のリベンジはとりあえず遂げることができました。
フィリピンはまだですが・・・・。
スリランカはハワイに代わる私のお気に入りになるかもしれません。
鄙びた感じ、ホスピタリティ、文明の便利さ加減など丁度良かったです。
今回も波が大当り、幸運に感謝です。  


2013年12月26日

ハワイ 2007

これは2007年に行った15回目のハワイ旅行。この時は妻と出掛けました。
eしずおかブログを始めて最初のサーフトリップとなり、ノートパソコンを持ち込んで現地からブログアップしました。空港でパソコンが本物か起動テストをさせらりたり手荷物検査は厳重でした。

ハワイへトリップに出かけるときに参考になるのがネットの情報です。



新聞のホノルル・スター・アドバタイザーにも波予報が出ます。


スター・アドバタイザーのHPのNEWSのSURFをクリックするとNOAAのハワイ情報にリンクできます。

また、ハワイではSURF NEWS NETWORKも便利です。




出発前の準備です

7月のトリップは身軽な格好で出かけることができます。
今回はスーツケースも宅急便で成田に送ってしまったので、デイパック一つです。



サーフィンをするには当然サーフボードが必要なのですが、
ハワイ路線の航空機にサーフボードを積むのには高額の料金を別途支払わなくてはなりません。
前年の2006年のハワイトリップではレンタルボードを活用しました。
レンタルなら毎日違うボードを乗り比べてみることもできて面白いのです。
ですからハワイへサーフボードを持ち込んだ事はありません。

一方、ハワイではサーフボードは日本と比べとても安い価格で手に入ります。
有名なサーフショップがたくさんあり、在庫も豊富。
以前は在庫の中から探したものですが、2000年頃からはインターネットを使って自分に合うサイズでオーダーメイドすることが多くなりました。その方が、ホノルル市内を行ったり来たりして気に入ったボードを探し回る時間を節約できるのです。
今回も事前に日本からボードをオーダーしてありました。
50歳になったらこんなボードに乗ってみたいと思っているボードがあったのですが、
それを作れるシェーパーがなかなか見つかりませんでした。
そして2006年のハワイトリップでようやく見つけたのでした。
今回の旅では日本からオーダーしたそのボードをピックアップして乗ることが最大の目的なのです。


特別なサーフボードをオーダーすることに

Yuka
Russ K Makaha Quiksilver Boardriders Club
1714 Kapiolani Blvd
Honolulu HI 96814-3712

Dear sir
I am wondering if you sell your products by mail. If you do,I would like to order custom LightningBolt single Fin surfboard.
I am going to visit Honolulu in June 29th and I visit your shop for pick it up.

I am Yoshimasa Tachikawa from Shizuoka Japan.

I went to your shop last july and I Found LightningBolt surfboards.
I want to have a retro singl fin surfboard just like this photo



length:7'2" width:21" thickness:2 3/4"

glasss with 4oz yellow tint bottom and rail, top is 6oz + 4oz red tint, gloss polish finish

Bottom : yellow tint,gloss polish finish
Red Lightning With Black Shadow

Top : red tint,Gloss polish finish
White Lightning With Black Shadow

I will use this board for small wave(knee high)to slow mushy over head high waves.

this is funboad looks like retro single fin.
this board similar to AL Merrick MSF or MSF G2.
But I want have contemporary bottom contour(concave) and outline

I am 49 years old.I surf 28 years long.(shortboard only)I use 5'11"LOST SD2 now.
Weight:150lb.
Height:5'8"tall

Would you send me an estimate?
Thank you For your reply.


昨年7月貴店でライトニングボルトのボードを見ました。その時は担当者がいなくて詳しいお話ができませんでした。
今回、レトロな外観のシングルフィン・ボードをオーダーしたいと思います。
写真は画像処理ソフトで加工した画像です。イメージとしてはこんな感じを思い描いています。
長さは7フィート2インチくらい、幅は21インチくらい、厚みは2 3/4インチくらいを考えていますが、シェーパーの考えで変えていただいて結構です。
私は49歳になります。身長172cm、体重70kg。これまでショートボード(現在はLost SD2 5’11”x 18 3/4 x 2 5/16に乗っています)ばかり29年間乗ってきました。このボードはファンボードとして使うことを考えています。小さな波から、頭オーバーでもダラダラのロングボード向きの波での使用を考えています。

色は、ボトムとレールはイエローのティント。ロゴマークは赤で黒いシャドーがはいっているもの。トップはレッドのティントでロゴマークは白。黒いシャドーのはいっているものです。仕上げはグロス・ポリッシュでお願いします。
クロスはボトム4oz トップ4ozと6oz の2層で少し丈夫にしたいです。
レトロな外観とはいえ、アウトラインやボトムのコンケーブは今風の物が希望ですが、細かいことはシェーパーにお任せしたいです。

イメージとしてはアル・メリックのMSFやMSF G2に近いものを考えています。

およその見積りでもよろしいので、価格を教えてください。
よろしくお願いいたします。


トリップの2ヶ月前にこんなオーダーシートを作り、FAXとインターネットで送信しておきました。


このボードを発案したきっかけは2006年に訪れた東京原宿のパタゴニアで見たこのボード



映画スプラウトのラストシーンでダン・マロイが乗った、ジェリー・ロペスがシェイプしたレトロ・シングルフィンです。
水中から撮られた美しいシングルフィンの航跡に震えすら感じた映画『free ride』のオープニングが脳裏に浮かびました。あの映画の中で輝いていたライトニングボルトのシングルフィンに乗ってみたくなったのでした。


ホノルル空港に到着です

NW010便でホノルルに到着しました。
航空会社のマイレージサービスが始まった当時はアメリカの航空会社しかマイレージサービスをしていなかったので、ノースウエスト航空に乗ったのをきっかけに会員登録をしました。それ以後はできる限りノースウエスト航空を使うことになりました。
この頃はまだマイレージ会員が少なかったのでビジネスクラスに無料でアップグレードしてもらえたりラッキーなことが多々ありました。


レンタカー・オフィスへ

今回の足となる車はシボレーのコバルトです。シボレーで一番小さいのではないでしょうか。ハワイといえどアメリカです。車がないと行動半径が限られてしまいます。



今年もアラモレンタカーです。丁度インターネットで期間限定割引をやっていて1週間で200ドル以下、しかもフルカバーの保険付という格安ぶりでした。


走行距離5000マイルのまだまだ新車の域にある車で、傷もなく内装もピカピカ、調子は良いです。ボードが中に積めないのでソフトキャリアを買って取り付けました。




サーファーでレンタカーを借りたことのある人が一番困ることはドアロックのリモコンでしょう。最近はレンタカーもリモコンドアロックが標準です。海に入るときリモコンを濡らすことができないので鍵を持って入れません。レンタカー会社はリモコンを紛失しないようにワイヤーでキーと結束していますので外すのは困難です。

そこでいつも小型のペンチを持って来るようにしています。ワイヤーをブッタ切り、鍵だけ持って海に入るようにしています。

ホノルルの市内へ

ホノルルはやっぱり暑いです。でも風は涼しいです。
たいていのホノルル便は現地到着が朝です。
疲れていても寝不足でもホテルにチェックインするまで時間があります。
そこで、いつもひとまずワイケレのプレミアム・アウトレットに行くことにしています。
最初にアウトレットの価格水準に慣れておけば、一般的なお店で安く感じなくなりますから無駄な買い物をする予防になります。

ワイケレはワイキキからは遠いですが、空港からなら15分ほどです。

ここで一番お気に入りのお店はスポーツ・オーソリティです。日本にもありますが、品揃えが全く違い、怪しい道具類がいっぱいあって面白いのです。
欲しくなっちゃうモノが多いのですが、そのほとんどが買っても日本に持って帰れないような大きなものなのです。例えばシーカヤックとか馬鹿でかいバーベキューグリルとか組立式プールとかです。これも買い物を諦める薬になります。

さて、お昼になったのでランチです。いつもならJulison's Innのプレートランチなのですが、今回は違います。



知り合いになった方で、ハワイでリムジンの会社を経営されていた方がいるのです。その方のお薦めのお店がJulison's Innの隣のY'KELE KOREAN BBQだと言うのです。以前から気になっていた店ですが、私は辛い物が苦手なので入らなかったのです。その方の話では辛くないというので入ってみました。



観光客風はほとんどいません。ローカルの人ばかりです。

私はかねてより食べて見たかったミートジャン。妻はいろんな盛り合わせのスペシャルです。量が多そうなのでミートジャンはミニサイズ。スペシャルはレギュラーサイズにしました。



これがミートジャン。ミニサイズ。日本のコンビニ弁当の1,5倍はある量です。



そしてこちらがスペシャルのレギュラーサイズ。2,5倍はあるでしょう。

味もイケます。辛くはありません。ミートジャンはちょっと甘すぎでした。
骨付きカルビに喰らいつき、チキンをほうばり、マヒマヒをかき込みましたが、終わりません。

お腹がパンパンで、1食目から完食ならず・・・。無念です。


ライトニングボルト サーフボード

オーダーで作ってもらっていたサーフボード。
今回のトリップまでに完成するか心配でしたが間に合いました。
ワイケレを離れ、カピオラニ通りのRuss-k Makaha Quiksilver Boardriders Clubへ受け取りに行きました。
この店は元々Local Motionの本店があった建物です。30年前(1982年)に、当時発明されたばかりのトライフィンのボードを買いに来た場所でもあります。今回は70年代のシングルフィンを再現したレトロ・レプリカです。



若い頃にサーフィンを始めて現在40歳代~60歳代のサーファーならば知らない人はいないであろう歴史的なブランドです。簡単に説明すると70年代からサーフィンの神様と言われ続けてきたジェリー・ロペスが乗ったボードとして一時代を築きました。その後のこのブランドが辿った紆余曲折はこの際、置いておきましょう。

あの時代のサーファーなら一度は乗ってみたかったのではないでしょうか。もちろん、あの時代に乗っていた方も多いかと思います。あの時代に乗りそびれた自分にとって、いつかは乗りたいボードでした。

ただ、こんな昔のブランドの70年代のレプリカに乗るのはちょっと目立ちすぎて恥ずかしいかなという思いもありました。
でも50歳を過ぎればたらこういうボードを乗るのに相応しい貫禄もついてくるのではないかと自分の成長を期待しての製作でした。


今、ライトニングボルトのブランドの正規ライセンスを持つシェーパーは、私が知る限りアメリカではカリフォルニアに1人、マウイ島に1人いると思います。このボードにはマウイのLightning Bolt Mauiのロゴが入っています。シェーパーはオアフ島のハレイワに住むベテランのダニー・ニコルズです。
連絡やコミュニケーションがうまく取れなかった割に、ほぼ思った通りのボードができあがりました。

こちらはボトム側です


本当は50歳の誕生日に作る予定だったのですが、待ちきれなくなって少し前倒しになりました。




さて、波もあるし、明日からさっそくこのボードに乗ってみたいと思います。

今日はベッドで抱いて寝てしまいそうです。

ワイキキのホテルへチェックイン

ワイケレ、Rass-kと回って15時を過ぎたのでホテルに向かいました。



この写真でどこのコンドミニアムか判ればかなりのハワイ通ですね。
ワイキキビーチの中心にあるハイヤット・リージェンシーの裏手にあるPacific Monarchです。
1Bedroomの部屋は角にあるので見晴らしと風通しが抜群です。

ラナイ(ベランダ)から望遠ズームで撮ってみたらPop'sポイントがこんな風に写りました。
肉眼では点にしか見えません。



波はすでに胸~肩にあがっています。でも波が良いのでかなりの混雑のようです。

裏手の景色はこんな風です。



これから近所にレンタル携帯電話を取りに行きます。
日本の携帯電話をローミングして使うと高額の料金がかかりますが、
この頃のハワイでは既にレンタル携帯電話は通話料金のみの無料電話があり、
使わなければ1ドルもかからないのでした。
電話番号は事前に日本に連絡が来るので、教えたい人にだけ伝えておけば、
掛かってきて欲しくない人からの電話はシャットアウトできるのでした(^O^)

サーフィン 初日

朝5時半に起きました。まだ薄暗く風が冷たく感じるほどでした。土曜日のせいもあるでしょうが、薄暗いのにもう多くのサーファーが沖に出ていました。

砂浜を西に15分ほど歩き、代表的な中級者向けのポイントであるナンバー3というポイントに向けパドルアウトしました。長い道のりです。途中、30代のショートボードのローカルが「ロングにすべきだったよな」と話しかけてきました。7'2"のシングルフィンもショートボード仲間と認識してくれているということでしょうね。


部屋から見たナンバー3の様子です


拡大するとこんな感じです


さて、ポイントはロングボードの天下となっていました。その数約40人。機械の様に規則正しくブレイクするポイントブレイクですからほとんど乗れるような波は余っていません。波が崩れる所よりはるか沖から10フィートクラス・タンカー(特大のロングボードのことをそう呼ぶ)が3人くらいづつ乗ってきて、乗る隙がありません。皆、上手で大きなボードで見事なカットバックを繰り返していきます。1時間ほど粘りましたが諦め、隣のパラダイスに移動しました。

こちらの方が人はバラけていました。ようやく小振り(胸くらい)の波に乗ることができました。
しかし、レトロ・シングルフィン、昨年使ったトライフィンのファンボードと比べ、ターンがとても難しかったです。かなり前荷重でないとテイクオフができません。スピードがついたら素早くステップバックしてテールのレールをゆっくり入れていかないと曲がっていきません。ごまかしが全くきかないボードでした。ノーズが厚く重いので振ることは不可能。テールを踏み込んでじわっと押し出すようにまわしていかなければターンできませんでした。わかってはいたけれど、やっかいなボードです。素材も作り方も形も30年前と同じなのだから当然と言えば当然です。

レトロ・シングルフィンの最初の1Rが終わりました。

この頃、私が普段使っていたボードは世界チャンピオンのアンディ・アイアンズが新島大会で優勝した時に使ったLOST SD2 XTR 超軽量プロ仕様というハイパフォーマンスなボードでした。

同じサーフボードなのに余りの違い。一見すると初心者でも乗れそうなボードが全然乗りこなせなくて、たいへん凹みました。
このようなオルタナティブなミッドレングスのボードはロングボードの基本テクニックができた上で初めて乗れるようになるのだと思いました。

2日目もパラダイスへ

今朝もパラダイスの波に乗りました。
これまでの旅ではショートボードなので、ワイキキへは入らずダイヤモンドヘッドのライトハウスがメインのポイントでした。
ですが、今回のレトロボードは浮力が大きくてダックダイブ(ドルフィン)が慣れないのでロングボード向きのワイキキに入っています。
だんだんとテイクオフが早くできるようになりボトムターンまでは何とかなりますが、カットバックが上手くいきません。リーフブレイクのハワイの各ポイントではカットバックができないとマトモな波乗りにはなりません。

太平洋航空博物館へ

ハワイの旅の魅力はサーフィンだけではありません。
朝一のサーフィンが終わったら、行ってみるべき場所はいくらでもあります。

毎年、どこかの美術館や博物館に行くようにしていますが、今年は新しくOPENした。PACIFIC AVIATION MUSEUM(太平洋航空博物館)を訪れることにしました。

場所はパール・ハーバーのフォード島です。ここへ来るのは数年ぶりです。前回はアリゾナ記念館の隣に係留されている戦艦ミズーリを見に来たのでした。

パールハーバーのアリゾナ記念館前はもの凄い人の列でした。白人ばかりです。たぶんもうすぐ独立記念日なのでそれに合わせて観光に訪れたアメリカ人なのでしょう。並んでいる人だけで数千人はいました。

航空博物館へはチケットを買ってから戦艦ミズーリ行きのバスに乗ります。お客は我々以外全員白人でした。基地内に入る橋の周辺は撮影禁止です。なんとなく緊張しました。我々以外は全員戦艦ミズーリで下車したので航空博物館へ入場したのは我々二人だけでした。入館し、短い歴史解説の映画を見ました。

この建物はかつては飛行機の格納庫だったものです。広い館内にお客は我々だけでした。


ソロモン諸島で日本軍に置き去りにされた本物のゼロ戦です。

博物館の人も暇なので、私に付きっ切りで解説してくれました。
B25爆撃機の前で、ドーリットル作戦(映画パールハーバーの後半の東京爆撃)のことを質問したら、思いっきり夢中で解説してくれました。アメリカ人にとって真珠湾の困難からの脱却のストーリーとしてドーリットル作戦の話は誇りなのでしょう。


ミッドウェーで大戦果をあげたSBD(急降下爆撃機)です。

この博物館はまだまだ未完成なのです。今あるのは第二次大戦初期の飛行機だけで、これから3倍に拡張され、ベトナム戦争までの飛行機を展示する計画だそうです。

それにしてもパールハーバーというエリアは日本人である我々にはとても肩身が狭い場所です。戦争に到る経緯は数々あるのでしょう。しかし、我々の知らない過去の戦争の場所に来ているのだけなのですが、涙が出そうなくらい重苦しい気分になるのです。どこかの国の政府の話ではありませんが、戦争の事実は事実として認めていかなくてはいけないのだと強く思います。

お気に入りのパンダ・エクスプレス

パールハーバーまで来たので、ランチはパールリッジ・ショッピングセンターのフードコートへ行くことにしました。パールリッジ・ショッピングセンターは世界最大の規模を誇るアラモアナ・ショッピングセンターと並ぶ大型のショッピングセンターです。ここのフードコートは大手のチェーン店が並んでいます。

その中で、毎年欠かさず行く私のお気に入りがPANDA EXPRESSです。


中華のデリのようなお店です。最初にチャーハンか焼きそばの好きな方を紙皿に盛ってもらいます。後は2品か3品のおかずを選んで盛ってもらいます。この店の一押しはオレンジ・フレーバード・チキンです。酢豚のようなもので、鶏のから揚げにオレンジを使った甘いあんかけをあえてあります。これは美味いです。


味は万人向きで、おかずの種類も豊富で当たりハズレがなく安心して注文できます。


慣れない味ばかり続く旅先では欠かせない存在になっています。
地元新聞のHonolulu Advertiserが主催するレストランの人気投票2007年Best of the Bestでは、中華部門で3位に終わりましたが、それだけ中華部門のレベルが高いのかもしれません。PANDA EXPRESSはアメリカ本土のチェーン店のようです。

お隣はシナボン

パールリッジ・センターのPANNDA EXPRESSのお隣は、日本でも有名なシナモンロールの店シナボンです。



パンダの後ではさすがに食べることは無理です。本当はできたてのアツアツが美味しいのですがお持ち帰りにしました。

シナボンは、ハワイ通の芸能人などがテレビ番組の中で紹介したこともあり、1999年の日本上陸の時はたいへんな人気になりました。お台場の2号店には連日2時間待ちという長蛇の列ができました。ワイドショーでも取り上げられて話題となりました。その頃、日本中のパン屋さんやコンビニでもシナモンロールが売られました。ここハワイではブームになることも廃れることもなく長いあいだ同じように平和に営業しています。



実は日本では2009年を最後にシナボンの全店舗が撤退してしまいました。
日本人にはあの甘さと大きさが合わなかったのでしょう。
パン屋さんやコンビニでもシナモンロールをあまり売っていません。

私が思う原因はその強烈な甘さもありますが、食べ方に問題があったのではないかと思います。
シナモンロールは手に持てないくらい熱くてシロップがドロドロ・べちょべちょでないと美味しくありません。時間が経ってしまったらレンジで加熱しなくてはダメなんです。みなさんシナモンロールは必ずレンジでチンしてから食べてください。



そして、なんと2012年11月15日、東京六本木にシナボンが再上陸しました。
今回は小さいミニボンが主力商品だそうです。
外国人が多い街を中心にシアトルズべストコーヒーと組み合わせてチャーン展開するそうです。

べちょべちょのシナボン。あなたが超甘党ならば、これ以上のB級スイーツはこの世に存在しないと思います。

プレートランチとロコモコ

ハワイはサーファーにとってお買い物天国でもあります。
ワイキキにはローカルモーション本店をはじめT&CやHIC、クイックシルバー、ビラボンその他様々なショップがあり、
アラモアナ・ショッピングセンターにもHICなど大手があります。
ワード地区にも多く、路面店のSouth ShoreやワードウエアハウスのT&C、
ワードセンターにはクイックシルバーやエクセルがあります。

ワード・センターに行ったので、ランチはL&L DRIVE-INNで食べました。
L&Lはホノルルでは普通のプレートランチ・チェーンです。あまりにありふれているので写真撮るのを忘れました。2人でレギュラーを一皿注文しました。

実はこの店、ハワイの地元新聞Honolulu Advertiserの10万人アンケートで2007年のBest of the Best Plate Lunch に輝いた店なのです。


さて、話はとんで、夕食です。
いろいろ候補がありましたが妻がDFSに行くというのでワイキキのDFS近くのAQUA CAFEに行くことにしました。
この店、なんとハワイを代表するB級グルメ、ロコモコで2007年 Best of the Bestを獲得した店なのです。

この店のことは以前から知っていましたが、ワイキキの真中のフードコートにある店で、とても美味しい店には思えなかったのです。ですから今日は真相究明の試食です。

これがAQUA CAFEのロコモコです。


日本人観光客向けの味付けハンバーグかと思いきや、典型的なアメリカンな淡白な味。肉は焦げ目がついて美味しいですが硬めでした。妻が頼んだサルサソースで味付けしたサウスウエスト・ハンバーガーの方が美味しかったです。


ハンバーガーはポテトかサラダを選べてサラダを頼んだのですが、店員が間違えてポテトを持ってきてしまいました。お詫びにサラダも一皿持ってきてくれたので、今日もまたお腹がはち切れんばかりの満腹状態になってしまいました。


ハワイの花

ハワイのイメージを代表する花はプルメリアではないでしょうか。ハワイでは普通に街路樹として植えられています。


そういえば大昔、ワイキキの外れで映画のロケ隊に出くわしたことがありました。松田聖子と神田正輝が結婚するきっかけになった「プルメリアの伝説」という映画でした。人ごみで近づく気にもならず、素通りしました。

ワイキキの表通りのカラカウア・アベニューは街並みのデザインと調和させるために計算して椰子の木が植えられています。


南の島をイメージさせる観光のためのディスプレーと言っても良いかもしれません。

ステイしているコンドミニアムPACIFIC MONARCHは裏通りのクヒオ・アベニュー沿いにあります。


クヒオ通りは椰子の木とシャワーツリーが混ぜて植えられていて、日陰を多く作るようになっています。


今のシーズンはシャワーツリーの花が咲いていてきれいです。


SURFパラダイス

この写真はワイキキ正面のクイーンズです。


カメラで撮れるくらいインサイドなんですが、こんな波になっています。
話によるとここ2週間くらい全く波がなく、私が到着した29日から波が上がっているのだそうです。だから首を長くして待っていた島中のサーファーが海に出てきて大混雑だったのです。一番波が小さいワイキキのインサイドでこれくらいありますから、写真では点にしか写らないようなアウトサイドのファーストブレイクは頭半くらいのサイズが割れています。たいへんラッキーなことなのです。

サーフィンの話題が少ないように感じるかもしれませんが、毎日海には入っています。月曜になって波は腹~胸~肩くらいに落ちましたが人は半減し、快適に波乗りができるようになりました。入っているポイントはワイキキ沖のPop'sの隣のパラダイスです。人気ポイントのPop'sとナンバー・スリーに挟まれたポイントで両サイドの人気ポイントよりは波が小さめです。でも今回は頭サイズがブレイクしていて静岡ではありえないロングライドが可能です。


レトロシングルフィンボードはまだまだ乗りこなせていません。基本的にロングボードのテクニックが必要なのだと思います。大して長さの変らないセミガンや昨年使ったトライフィンのファンボードとも全く違うテクニックを要求されているようです。何しろ微妙なレールの出し入れを必要とします。



ワイキキの砂浜をこのボードを抱えて歩いている時でした。前方に恐そうなローカル・サーファーがいたので目が合わないように気づかないフリをして通り過ぎようとしました。そうしたら後を追うようにHey,Heyと声を掛けてきたのです。ヤダなあ、何だろうと立ち止まりました。

「おい、このボードは60年代の、いや、50年代のライトニング・ボルトだろう?リメイクしたのか?凄いなあ、いいボードだ!」と話しかけてきたのでした。
(50年代はおおげさで、60年代後期から70年代中期ころのボードのリメイクです)

同世代以上のオヤジにはウケるボードです。



波乗りが出来るのはあと1日なのですが、何とかもう少し慣れておこうと思います。


ハワイのエビ屋

ここ5~6年のことでしょうか(2007年当時)、ハワイ・ノースショアで話題になっている食べ物がエビです。

最初はオアフ島の北端の町カフクのエビの養殖業者が道端にランチワゴンを置いて営業したのが最初のようです。すぐに話題になりハレイワの町にも広がりました。前出のリムジン会社のJINさんが言うには、カフクのオリジナルの店は絶品なのだそうです。食べてみたいのですがそこまで行く時間がありませんでした。

そこで、ワイキキにもできたランチワゴンのエビ屋に行ってみました。


建物を取り壊した跡地を整地だけして、バスを改造したランチワゴンで営業していました。
当然、定番のガーリック・バター味のエビを注文しました。


本来はご飯が盛られているのですが、切らしてしまったということで代わりにとうもろこしが乗っています。アバウトです。

スパイスは3段階の辛さから選べます。なかなか美味しい。淡白なアメリカの食事が続いた後にはなかなか良いメニューです。

ただし、手がべとべとになるのでウェット・ティッシュを忘れずに。

ホノルル・シティ・ライツ

ハワイの花2

ハワイの花です。と、言っても街中で見かけた花です。どれも人工的に植えられた花々です。

観光地ワイキキを南国らしく見せる演出でありますが、年中手入れをして美しさを保つ努力を惜しんでいません。

道端の花1本に到るまで心血を注ぐこと、それがお客様を集め喜びを与えることに繋がっているのでしょう。世界有数の観光地は一朝一夕では作れないのですね。








ワイキキのサーフィン

3日ほど続いた波も小さくなり普段のワイキキに戻ってきました。とはいえ、セットは頭くらいあり、インサイドではチューブも見られます。

ワイキキの波はロングボードには最適の波が立ちます。キャプテン・クックのハワイ諸島発見以前からこのワイキキは王室専用の巨大ロングボード用のサーフィン場だったのです。

海底は数百メートルにわたりほぼフラットなリーフです。切り立った波が一気には崩れず切り立ったまま何十メートルも進みます。ロングボードだとその数十メートルのどこからでもテイクオフできてしまうのです。

そのため老若男女だれでもサーフィンを楽しむことができるのです。波待ちのラインナップには必ず70歳近い白人のお年寄り、コニシキ体型の中年サモア人、東洋系のスリムなピチピチのビキニの女の子、いかにも上手そうなハワイアンなどのローカルが混在しています。それでもみんな楽しめるような波なのです。

ここは岸から一番近いクイーンズです。

リラックススタイルの人もいれば、


鋭いカットバックで波を切り裂いていく人もいます。


このオジサン、この体型でチューブを抜けて出てきた所なんです。


同じワイキキでも穏やかなサーファーが集まるPap's、Paradise、Number Threeは混雑も少なく、メローな時間が流れていきます。ただ、暗黙の厳しいルールがあるという空気を読まないといけません。ローカルの年寄りや女性がパドリングを始めたら、波を譲るとか、初めて入るときは一番端でおこぼれが来るまで待つ。などです。700m近い長い長いパドリングを要しますが、その先にはロングボーダーのパラダイスが待っているのです。


テイスト・オブ・ニューヨーク



これはニューヨーク・ヤンキースのデレク・ジータの名前を冠したサンドイッチです。ハワイの2007Best of the Bestのデリ部門の1位に輝いたテイスト・オブ・ニューヨークというお店のサンドイッチです。

ここは初めて聞く名前でしたので住所を頼りに車で捜しました。カイムキの住宅地の中をウロウロ走り、見つけた場所はワイアラエ・アベニューにある私のお気に入りの店BIG CITY DINNERの同じエリアの裏手でした。ものすごく鄙びた場所にありました。とてもローカルな店で観光客などはほとんど来ないでしょう。



このサンドイッチの他に、ジョー・ディマジオやサラ・ジェシカ・パーカー、グロリア・エステファンなどもあります。



さて、お味なんですが・・・・・・。

一言で言えば、ニューヨーク・テイストなんでしょう。ポテトサラダは芋の味だけ・・・・。
ローストビーフはかなり塩味が強かったです。


B級の聖地、Zippy's

ハワイB級グルメの旅(実はそうだったのか?!icon10)も最後に登場はZippy'sです。ホノルルで最もありふれたドライブイン・ファミリーレストランです。

極度の貧乏留学生だった1982年当時、ここで食べるプレートランチは最高級のご馳走でした。ハワイ留学1年2ヶ月間で1度もチップを払うような普通のレストランには行けなかったのです。当時はキングストリートの店が行きつけの店でした。
今回はアラモアナ・ショッピングセンターの西端にあるZippy'sへ寄りました。(現在は無くなったようです 2013年現在)

注文したものは、思い出ぎっしりのハンバーガーステーキ(ハンバーグとは呼びません)


デミグラスではなくグレビーソースが大量にかかっているのがハワイ流です。
当時あまりの空腹にglind(ガツガツ食うこと)して、プレスチックのフォークの先まで食べてしまったという伝説を作ってしまいました。やはり思い出の味には何者も敵わないのです。

もう1つはミックス・プレートです。


チキンカツ、テリヤキビーフの2つのハワイの定番にチリビーンズが加えてあるのがZippy'sの特徴です。

このお店は慣れ親しんできたので安心です。雰囲気も鄙びていて良いです。ローカルばかりですが観光客にもお薦めです。お持ち帰りの日本食のコーナー、オオサカ・オカズヤと結構おいしいナポレオンズ・ベーカリーを併設していて便利です。


ただし、この店で最も有名なのがこちら


Bento部門で2007Best of the Bestを受賞したThe Zip Pacです。

スパムとマヒマヒフライが加わりまさにハワイの王道です。タクアンの黄色が効いています。

リゾート・クエスト パシフィック・モナーク

今回宿泊したのはリゾートクエスト・ハワイのパシフィック・モナークという33階建てのコンドミニアム&ホテルでした。留学当時知り合った女友達がここに一時期住んでいました。一度だけ訪れたことがありましたが、私が住んでいた低層階のプロック造りのアパートとは比較にならず、羨ましかったものです。



現在では4人一部屋の格安コンドツアーにも使われる、中の下くらいのランクのリーズナブルなコンドミニアムです。ホテル経営は超合理的でチェックインとアウト以外従業員に会うことはありませんでした。ホテルと言うより分譲マンションとウイークリーマンションの合体したようなものです。



部屋は20畳以上のリビングダイニングと別のベッドルーム、キッチンも食器まで全て揃っていました。ケーブルテレビ、冷蔵庫、レンジ、オーブン、トースター、珈琲メーカー、炊飯器、アイロン、目覚まし時計全てありで何も買わなくてもずっと生活できる状態です。タオルも4人分です。


帰国後、リゾートクエストからメールが届いていました。

満足度アンケートでした。お客と直接顔を合わせることが少ない合理的なサービスを補完するため、お客にアンケートを送って不満を聞く。忙しくてクレームの電話をかける時間すらもったいない我々には、かえってありがたいサービスに思えるのです。これまでのサービスは顔と顔を合わせて納得しあうことがサービスでしたが、時間に追われた現代人にはアメリカ的な超合理的なシステムの方がありがたいサービスだったりする場合もあるのだと思います。

  


Posted by エディ立川 at 19:192007年7月 ハワイ

2013年12月25日

ボルネオ・ミッション 2013

2013年11月4日 (day 1)
BORNEO MISSION START



先ずは新幹線で品川、そして成田エクスプレスで成田空港第二ターミナルへ向かいます
今回の旅はマレーシア航空の成田→コタキナバル直行便就航記念に伴う
マレーシア・サバ州政府観光局のブロガーご招待のプレス(報道)ツアーなのです。

今回選ばれたブロガーは3名。
日本を代表するアルファブロガーである『ネタフル』のコグレマサトさん。
『R25』『サイゾー』などで執筆活動をしているライターで、登山のエキスパートでもある熊山准さん
そして、わたくし『来たよ!いい波』のエディ タチカワです。

熊山さんが山彦担当なら、私は海彦担当と考えていただければ良いかと思います。
これからマレーシア・サバ州のあるボルネオ島の海を中心に紹介していきます。

外せない名所を回ったコグレさん、ジャングルや4000mオーバーの山岳に登り大自然を歩いた熊山さんのブログ、そしてサバ州政府観光局の公式ブログのコタキナコさんのブログもあわせてご覧ください。

今日は新幹線で品川へ。



スーツケースは宅急便で成田空港送ってしまったので持ち物はデイパックとサフボード。
軽くて頑丈なEPSエポキシでオーダーしたDoc.Bushwacker 。
6'6"のサイズにこだわったのは、新幹線に立てて持ち込んでもギリギリ天井に届かない長さなのです。
これが7フィート以上だとつっかえちゃうんです。
これぞ、究極の旅ボードだと自負しております。



品川駅は新幹線ホームと成田エクスプレスのホームが隣接しているので乗り換えがとても簡単。
静岡からだと成田まで行くのもちょっとした旅行ですからできるだけ無駄な体力は使わないプランニングが大切です。



成田エクスプレスの現在の車両はドア横の荷物スペースが小さくなった代わりに、網棚が設置されたので空いていればボードも置かせてもらえます。



肘掛けにはコンセントがあるのでスマートフォンやパソコンを使うのが便利になりました。




空港第2ビルの出発ロビーのヤマト運輸でスーツケースを受け取り、
マレーシア航空コタキナバル行きMH81便にチェックインしました。
コタキナバルまでは、バリやハワイよりも、全然近い約6
時間のフライトです。



マレーシア航空81便は定刻出発。



熊山さんたちが搭乗した就航第一便は1時間くらい遅れたということなので覚悟していましたが、順調でした。



ANAのB787ドリームライナーの着陸を待って滑走路に入り離陸しました。

私が乗った機体はB737-800。
国際線とはいえメジャーな路線ではないので3席×3席の中型機です。



エコノミークラスでしたが、シートは革張り。
オンデマンドのビデオモニター付きは今や常識というところでしょうか。
映画のタイトルも新作こそ少なめですが、豊富です。
ハリウッドものだけでなく、日本映画、中国映画、韓国映画、インド映画、イスラムの映画など、アジアの中心に位置するマレーシアの国際性を現わしているようです。
何を観ようか迷いましたが『Man of steel』(スーパーマンのリメイクの新作)を観ました。

ビデオモニターの右下には、USB接続で使える電源が付いています。
おかげでスマートフォンやタブレットを充電しながら使えてとても便利です。今もタブレットを充電しながらこの文章を書いています。
あ、もちろんスマートフォンやタブレットは機内モードにして使わないといけないですね。



飛び立ってすぐランチとなりました。

映画と旅先の下調べをしていたら、あっという間にコタキナバルに到着となりました。
5時間45分の旅でした。



コタキナバル空港はとても現代的なデザインのアーキテクチャ。
人口規模や都市規模が静岡県と同じくらいのサバ州ですが、静岡空港のみすぼらしさとは雲泥の差。

入国審査も簡単。入国カードも廃止されたとのことでパスポートと指紋のチェックだけです



大型機ではラゲージが出てくるのに時間が掛かりますが、中型機は早くて良いです。



外に出ると、サバ州政府観光局のRieさんとブロガーの熊山准さん、そして現地旅行社SMI HOLIDAYのサトコさんさんとニベルさんが出迎えに来てくれていました。



何だか旧友と久しぶりに会ったような和やかさ。
実はRieさんとはブログを通した10年来の旧知の知り合いなのです。Rieさんは当時、『ボルネオの女王』というハンドルネームで『お口あんぐりボルネオ島』という日常の様々を綴った抱腹絶倒のブログを書いていて、私は欠かさず読んでいた熱心な読者だったのです。



先ずは市内の中心部にあるホライゾンホテルにチェクイン。



普段私が泊まるようなホテルと違い、格調のあるモダンデザインです。



その後すぐにこちらのPARTY PLAYというお店でサバ州政府観光局主催の晩餐会です(笑)

一週間前に初便で来ている招待ブロガーの熊山准さんはキナバル山登頂から戻ったばかりでお疲れだったでしょうが、ご一緒できて良かったです。
同じブロガーでも熊山さんはレベルが違います。
文章力もさることながら、iPhone5Sと最新のSONYのレンズカメラを駆使してどんどんブログをアップしていく技はトップブロガーのなせる技。
未だにコンデジとミニパソコンでPhotoshopを使ってブログを書いている私とは速度が違いますね。



もう夜の10時をまわっているのでビールで乾杯した後、ピザやトルティーヤなどで腹ごしらえ。熊山さんとボルネオの女王のキナバル登山の話などで盛り上がりました。

到着早々に酔っ払いモードに突入です。
明日は最初のミッション。
どんなことが待ち受けているでしょうか。



11月5日 MISSION 1 ZIP BORNEO (day 2)

昨夜の女王主催の歓迎レセプション(笑)で気持ちよく酔っ払い。
ホテルに戻りました。いよいよ翌日からミッションが始まるのでカラダを休めておかなくてはなりません。



コタキナバル中心街に建つHORIZON HOTELはなかなか凝ったデザイン。



壁はダークな木目で液晶テレビも壁に組み込まれたデザイン。
アダルトな雰囲気です。



バスルームも全面ガラス張りのシャワーブースと広いバスタブ。
アダルトな雰囲気がますます強くなってきます。



ベッドはダブルとシングルが入っていて
既に美女が寝息を立てている・・・・というのを期待したのですが、

女王に出したリクエストは、却下された模様です。

日本での女王との打ち合わせで、

女王「一人で各地を回ってもらいますけど大丈夫ですか?何かリクエストがあれば・・。」

エディ「できれば、添い寝をしてくれる女性がいてくれると良いのですが。」

まあ、この夜は思いのほかアルコールが回ってしまってフラフラで、この後ブログをアップするのに難儀してたんですけどね。


翌朝、部屋から見る景色は



こんな感じ。
すじむかえの建物はコタキナバル市役所。まさに市の中心部。



ホテルの北側すぐに海が見えました。



先ずは1階のブッフェで朝食。朝の7時前ですが、中国人の観光客でいっぱいでした。



この旅は満腹ツアーにもなりそうなので、少々控えめにしました。



HRIZON HOTELはこんな外観です。
7時45分、ツアー会社SIM HOLIDAYのサトコさんと二ベルさんがお迎えに来てくれました。



1時間半ほどのドライブということで、セブンに寄って飲み物を調達。



今回はコンビニの支払いまでサバ政府観光局が持ってくれているんです。
お大名旅行の様相のミッションですが、そんな甘いはずもありません。



コタキナバル周辺の道路は広々とした作りになっていて、信号機の交差点の代わりにロータリーになっています。日本でも今後はこの方式に切り替える工事を進めるそうですが実にスムーズですね。アジアとしては車も少なくマナーも非常に良くて、隣国のインドネシアやフィリピンとは雲泥の差。



海沿いの幹線道路を右折し、山の方に入っていくと富士山よりも高い山であるキナバル山(4095m)が見えてきました。



途中で、キナバル山が良く見える吊橋に寄ってくれました。
結構揺れるつり橋でしたが、現地の人はオートバイで行き来するようです。



橋の上から、堂々と聳えるキナバル山が見えました。



静岡には世界遺産の富士山がありますが、
コタキナバルにはやはり世界遺産のキナバル山があります。
コタキナバルの名前もキナバル山の街という意味なのだそうです。
キナバル山と富士山の共通点は、現地の人にとって霊場であり、郷土の誇りでもあるようです。古くから学校行事としてキナバル山に登る学校もあるようです。



ツアー会社のバンはどんどん山奥へ入っていきました。



ここは田んぼの跡地だそうで、



水牛が草を食んでいました。
マレーシアでも若者の農業離れが進んで耕作放棄地が増えているようです。
ただ、水牛は婚礼の持参金として使われる習慣があるとのことで、あちこちで放牧されているのが見られました。



そして、この緑の芝生が広がる施設が、今日の目的地。
昨年くらいにオープンした新しいアクティビティのZIP BORNEOです。



この施設のBusiness Development DirectorのBeverly Chiaさんが施設の説明や会社の紹介をしてくれました。



入り口付近には団体用のキャンプ場がありました。



テントの下はこんなベッドになっていて、ベッドの上には一人用の蚊帳を吊るのだそうです。
まるで軍隊の訓練場みたいですが、蒸し暑いジャングルの中ですから、この方が涼しくて気持ちよいのだそうです。

さて、いよいよZIP BOLNEOでのミッションがスタート



ヘルメットと命綱を取りにつけました。
スニーカーやトレランシューズのような靴を履くのがベストですが、土地柄サンダルで来てしまうお客さんも多いようで、アウトドア・サンダルの用意がありました。
二ベルさんとサトコさんも準備完了。



この塔は18mの高さがあるそうです。ビルの6階の高さにあたります。



最初にトライしたのは川の対岸まで張られたワイヤーをハーネスを付けて滑り降りるZip Line。インストラクターが注意事項等を説明するブリーフィングをきちんとやっていました。
心臓が弱い人向きではないですが、



空中をビューンと飛ぶように200mを滑空。



あっという間(約1分間)に対岸に到着しました。



戻るのも別のもう一本のZip Lineでビューンと100m。
スリルもありますが、気持ちがよいという印象の方が強かったです。

そして、再び18mの塔に登り・・・もう息が切れています。
かなり急な階段を登るので・・・。

次は中段に張られたワイヤーに吊り下げられたネット。



綱渡りならぬ網渡りといったところか。
高度感があり、スリリングですが、それほど難しくはありません。
高所恐怖症の人はちょっと無理かも。
塔の上ではインストラクターが全員に命綱を装着し、必ずブリーフィングをしてくれます。
安全には充分な注意が払われるようスタッフの訓練が行き届いているようです。



その次はまさに綱渡り。頭の上にもう一本のワイヤーが張ってあり、それに掴ってバランスをとりながら進みます。
結構脚がぶるぶるして脚の筋肉も腕の筋肉もフル稼働。



これはキナバル山でできるヴィア・フェラータの予行演習には最適かもです。
ヴィア・フェラータの体験記が熊山さんのブログにアップされているので是非ご覧ください。凄いですよ。
世界遺産のタマヒュンアクティビティ「ヴィア・フェラータ」前編
世界遺産のタマヒュンアクティビティ「ヴィア・フェラータ」後編

無事渡り終えました。ここまではなんとかなるレベル。



3つ目の課題。足元はワイヤー1本。
掴れるワイヤーは無く、
その代わりに、たるんだロープが2本渡されています。

どうするんだ、これ。



ロープを左右の手で一本づつ掴み、
引っ張ってテンションを掛けていきます。
そうすると自分の両腕と左右のロープが1本のロープのように繋がります。



しかし、移動するためには左手で持ったロープを手繰り寄せなくてはなりません。



右手のロープを放したら、落ちちゃいますから・・・。

左手の太いロープは左手の指だけで手繰り寄せるしかありません。



脚はガクガク、腕も指も筋力の限界近い状態。
止まって休憩するにも自分の筋力でロープにテンションを掛け続けなくてはなりません。
落ちちゃえば楽になれるよという誘惑が・・・。



めげそうになりながらも意地で渡りきりました。

明日は筋肉痛確実です。
ボルネオでこれをやるってことは、
オラウータンの樹上生活を体験するということなのか。



筋肉がたがた、汗だくですが、最上部のセクションも渡りきりました。
何だか旭山動物園のオランウータンになった気分です。

ようやく渡り終え、降りられると思いましたが、



降りるのはこれで。



学生の頃以来の懸垂下降で下りました。



ようやく地上に降りられたと思ったのもつかの間。



今度はボルダリングで壁登り。



最近流行のボルダリング。俳優の向井理もやっているということで、
女性にも人気のスポーツになりつつありますが、



私は初挑戦でした。
基本的には登山の岩登りと同じなので
これもクリアできました。



これにてZip Borneoにての訓練は終了とはいかず。



次のミッションのため、クルマで川の上流に移動しました。


MISSION 2 RIVERBUG WHITE WATRE RAFTING

次のミッションはラフティング。
KIULU RIVERを下ります。



ゴムボートによる激流下りですが、今回は初級コースの紹介です。
私は大学時代に探検部に所属していて、今年で37回目を数えるラフティングの大会『日本リバーベンチャー選手権大会』の第一回大会と第二回大会に出場した経験があるのです。
でも、その大会が最後で、ラフティングをするのは実に35年ぶり。



RIVERBUGのインストラクターが各自にヘルメットとライフジャケットを配布し装着方法をブリーフィング。



漕ぎ方や、指示の説明、落ちた時の流され方、ボートへの這い上がり方などを実演して説明してくれました。これが実に聞きやすい話し方と判りやすい説明でした。
巧みな操船ができることよりも、このブリーフィングがわかりやすいというのがラフティングに限らず優れたインストラクターの一番のポイントだと思います。



早速、川に入りました。ここはそれほど流れは急な場所ではなく、日本の四万十川のカヌーサービスがある辺りの流れに似ています。
こちらは雨季に入る季節と言うこともあってか、水量は充分でした。



後方から台湾の若者でしょうか、とても陽気でフレンドリーな中国人のグループが下ってきました。



インストラクターはこの位置でコントロールします。



急流といっても危険な箇所はなく、トロ場と急流が程よくミックスされたコースで飽きさせません。



後方の中国の若者たちと水を掛けあったりしながら付かず離れず下る格好でした。



水面と言う低い視線。これは動物の視線に近いかもしれません。
人工物が少ない自然の川の景色は日本ではなかなか味わえません。



急流は気持ちよく進みます。
私は前方に座らせてもらいましたが、たまに水をかぶる程度。



5倍ズームまでしかない防水カメラで撮っているので、
水辺に現れたミズオオトカゲの子供を撮りましたが流木にしか見えませんね。



中国人の若者たちはノリノリなので、インストラクターがわざとボートをひっくり返そうとしたりのサービス。



平均年齢が高い(私がですが・・・)我々のボートは穏やかにジャングルの風景に浸って下りましたが、



最後のほうではやっぱり水に浸かってボディ・ラフティング。
水が冷たくて気持ちよかったです。
流れはゆっくりなように感じますが、
脚がつく場所でも立っていられないくらいの水流の強さでした。



日本では子供が川原で遊んでいて川に流されて亡くなる事故が毎年のように起きますが、
こういった川下りを子供に体験させて、川の水流というものがどんな強さを持っているのか体で学習させるような教育も本当は必要なのではないかと思いました。



高い塔に登ったり下ったり、綱渡りをしたりで汗だくになったカラダには、
このくらいゆったりとして気持ちのよい水遊びはちょうど良いですね。

ボルネオの女王からこのミッションを受けた時、場所は限られますが日本でも体験できるZip Lineやラフティングを、わざわざボルネオで体験する必要があるのかなとの思いもありました。
でも、地元のサバ州のインストラクターたちと触れあい、サバ州の自然のなかで体を動かすことは、ここでしか体験できないことなのだと感じました。
世界遺産や、希少動物が棲む国立公園を巡るのもサバ州の魅力ですが、
こういったアクティビティもこれからのサバ州の魅力となっていくでしょう。
現在はこういった新しい欧米のアクティビティをそのまま導入している形ですが、これを熱帯のジャングルという土地柄でアレンジしてインディ・ジョーンズ的冒険の雰囲気をミックスさせたりしたら、もっと個性的なテーマパークに発展させられるように思います。
昔の探検帽子を被た衣装でジャングルウォークをしたり、個性的な民族の多い土地柄、首狩族の吹き矢の体験が入ったりしたらもっと面白いかもです。




ラフティングの終点は、先ほどのZip Borneo。
レストランで出されるBBQが美味しかったです。

Zip BorneoのZip Lineとラフティングは予定よりも早く終了しました。

そこで、ボルネオを象徴する動物を観に行くことになりました。
これは女王のミッションにはなかった番外編。


SHANGRI-LA'S RASA RIA RESORT SANCTUARY

今回の私のミッションは海がメインのため、ボルネオ観光の目玉とも言える希少野生動物を見る機会がありません。
そこで、現地旅行会社のSMI HOLIDAYのサトコさんがオランウータンのリハビリ施設に寄ることを提案してくれました。



コタキナバル郊外にあるシャングリラ ラサリアリゾートの敷地内にその自然保護区があるのです。ここはシャングリラ ラサリアリゾートとサバ州野生生物局との共同で運営されている施設です。



リゾートホテルのロビーを抜け、庭を通り東側の山の麓にその施設がありました。



こちらは宿泊客もビジターも有料のプログラムで、10時と14時の2回のみの開催。
しかも人数制限があります。子供のオランウータンを驚かせないためもあります。
先ずは、保護活動が必要になった理由からどのような活動をしているかなどの解説ビデオを30分ほど観ます。
オランウータンが希少動物になってしまった最大の理由は森林の伐採です。
かつてボルネオの森林は木材輸出のため切り出され、その最大の輸出先は日本でした。
現在ではアブラヤシの作付けのため森の伐採が進んでいます。
アブラヤシから採れる油は安価で高品質な食料油としてほとんどの加工食品に欠かせない原料の一つとなっています。また、各種の洗剤などにも大量に使われていて今やマレーシアの代表的な輸出品として経済を支えています。
そのためオランウータンは棲みかをなくし激減しているのです。
オランウータンは7~8年に一度しか子供を生まない繁殖力の弱い種。
親を亡くし、孤児となったオランウータンの赤ちゃんを育て、訓練して森に帰れるようリハビリを行う活動を国を挙げて行われています。
有名な施設はボルネオ東部のセピロック・オランウータン・リハビリセンターが有名ですが、ここラサリアはセピロックに入所する前のいわば幼稚園のような施設なのだそうです。



いよいよ山の中に入っていきます。



オランウータン以外でも、いろいろなネイチャープログラムがあるようです。



結構な山道。サンダルで来ちゃいましたが本来はちゃんとした靴で来てください。



こちらのデッキが観察のためのスペース。
もちろん外へは出てはいけません。
もしもオランウータンが近づいてきても絶対に触ってはいけません。



このプログラムは朝と昼のフィーディングタイムにあわせてあるのですね。
まだ小さいオランウータンが2頭お食事中でした。



このしぐさと表情が何ともいえないですね。
もう伸び伸びと食べておりました。

しかし・・・・



樹上に別の影が。
カニクイザルです。
ここでカニクイザルが出てくるのは珍しいみたいです。

オランウータンは単独で生活しますが、カニクイザルは集団で行動します。



たちまち10頭以上のカニクイザルが集まり、怖気づいたオランウータンの子供は



なんと、我々がいる観察デッキの上に登ってきてしまいました。
世話をしているパーク・レンジャーの人が、オランウータンの子供の手を引いてデッキの反対側に連れて行きました。なんだか人間の親子と変わりませんね。



希望すれば、ここで1時間近く観察をすることができるそうです。




やっぱりオランウータンは愛嬌のある動物ですね。
究極の癒し系キャラ。
保護区とはいえ、自然の中で生きている姿を見ることができてたいへん良かったです。

ラサリア自然保護区から帰る途中、



モスクの写真を撮ってきました。
コタキナバルでも最も目立つ建物
まるでシンドバッドに出てくる宮殿のよう。



国旗を見ると判りますが、マレーシアはイスラム国です。
州と首都を表すストライプとイスラムの象徴の月と星です。
でも、サバ州はイスラム教徒よりもキリスト教徒が多いのだそうです。
ちなみに右側の旗はサバ州の旗。象徴はキナバル山です。

この日11月6日はイスラム教で重要なメッカ巡礼の日ハリラヤハジのためマレーシアは祝日でした。



次に訪れた建物は、女王の宮殿。
いえ、女王の執務室(笑)のあるサバ州政府観光局の建物。
こちらは戦前のイギリス統治時代の庁舎で、歴史的建造物なのだそうです。

あ、このブログを読まれている方が誤解をするといけないのでもう一度書いておきますが、
ここに出てくる『ボルネオの女王』とは、今回のボルネオの取材旅行を企画してくれたサバ州政府観光局のRie haradaさんが10年ほど前に使っていたハンドルネームのことです。そのため私は今もRieさんのことを女王と呼んでいるのです。


KAMPUNG NELAYAN

そして、夜になり、



こちらのお店で女王主催の晩餐会。



いえ、正式にはサバ州政府観光局主催のお食事会です。



いきなり乾杯の写真ですが、この日も招待ブロガーの熊山准さんとご一緒できました。
ブロガーのお約束でしょうか、乾杯はカメラで写しながらです。
こっち側から私も撮ってるってことですけど。

そうそう、何で乾杯したか書かなくちゃ。



左はここで最もポピュラーなシンガポールのタイガービールですが、
今回の乾杯酒は乾杯の写真で熊山さんの隣に写っているサバ州政府観光局のマーケティング・マネージャーのSimon Jr. Jalinさんのご実家で製造販売しているライス・ワインでした。





中華です。お料理がざくざく。



ディナーショーが始まりました。
サバ州の主な5つの民族のダンスが順番に披露されました。



女王がこれは何族と解説してくれましたが、酔っ払って覚えられませんでした。



あげくにステージに上げられて、踊るはめに。
熊山さんはミニクマちゃんを躍らせて撮影中。
文章もオモシロイ人ですが、おしゃべりもやる事もオモシロイ人でした。
才能豊かで素晴らしい。




ステージは進み、



最後は首狩族の登場。吹き矢の実演があり見事命中。



またしてもステージに上げられて、吹き矢で狙います。
難しくてなかなか矢が飛びませんでしたが、コツがつかめて見事命中しました。
なんか、とっても嬉しかったなあ。



最後に、お客様を交えてのバンブーダンスで締めとなりました。



楽しかったです。メチャメチャ酔いが回ってしまい、失礼が多かったかもしれません。

以前女王は日本政府の大臣の接待にもこのお店を使っているそうです。
・・・と言うことは、大臣並みのVIP待遇!?



コタキナ子さん、ありがとうございました。


11月6日 MISSION 3 PULAU SAPI (day 3)

毎日いろんなことがあって盛りだくさん、今日からいよいよ本格的に海編スタートです。
先ず行ったのはトゥンク・アブドゥル・ラーマン公園。
と言っても、コタキナバルの市街地からボートでわずか15分の沖合いに浮かぶ島々のことなのです。
アブドゥル・ラーマンって僕らの世代なら聞いたことがあるでしょ。マレーシアの独立の父と言われ初代首相を務めた人物の名前です。



通常はジェッセルトン桟橋から出るボートが一般的なのだそうですが、混むかもしれないのでということで、



S.M.I HOLIDAYの二ベルさんが高級リゾートのステラ・ハーバーから出るボートを予約してくれていました。行く先々で二ベルさんの友達がいっぱい。いい人だから顔も広いのでしょう。
このステラ・ハーバーリゾートはかつてTTP交渉の会議が開催された高


マレーシアは我々が想像するよりもお金持ちが多い国です。ここステラ・ハーバーには高級クルーザーがいっぱい。人口50万人クラスの地方都市のイメージとは程遠い優雅さ。
アブラヤシの話はオランウータンの時にしましたとおり一大産業です。
サバ州の隣のブルネイは石油産出国で税金も医療も教育費もタダということで有名ですが、マレーシアも隣国インドネシアとともに石油産出国なので経済は豊かです。石油が出るから第二次世界大戦で日本軍の侵略を受けたこともありました。



ボートはお金持ちそうな中国人の数組のカップルと乗り合わせました。
このような渡し舟のようなボートですが、ライフジャケットの着用が義務付けられているようです。安全に関しては日本よりも厳格なように感じます。



あっという間に沖の島に到着。



桟橋には観光客を乗せたボートが次々と到着してきます。
白い砂浜と青い海。
こんな環境がビジネスで忙しい街の真中から15分にあるのですから、素晴らしいですね。



この島は公園内の島のひとつ、サピ島です。とても小さな島。
他にもガヤ島やマヌカン島があります。
ブロガーの熊山准さんはガヤ島に渡り、ガヤナ・エコ・リゾートのレポートしていますのでそちらをご覧ください。ガヤ島は原始の熱帯雨林を残す大きなネイチャー・アイランドで、トレッキングやカヤックで自然を満喫するリゾートです。

私が訪れたサピ島はどちらかというと、街に近いお手軽週末リゾートというか、海水浴場という感じです。東京首都圏なら横須賀の猿島みたいな感じでしょうか。



しかし、美しさが全然違います。
南洋の島そのもの。



完璧にリゾート気分満喫できるビーチです。
サンゴ礁の海底を覗くシュノーケリングや白砂のビーチで寝そべる人たちがいっぱいいました。

ビーチから島の中のほうに入っていくと



テーブルが並んでいて、木陰でゆっくり食事やお茶しながらゆっくりくつろげます。



こんなアジアンビューティなおネエさんや



こんなヨーロピアンな人たちも大勢いますが、
今回のミッションはそういう方面の視察ではなく、



こちらなのです。
シュノーケリングをするというのではありません。
このシュノーケルの人たち、よく見ると日本とはちょっと違いますよね。
そう、ライフベスト(救命胴衣)を着用してシュノーケリングをしています。



二ベルさんが借りてきてくれた3点セット。
日本なら、マスク(水中眼鏡)、シュノーケル、フィン(足ヒレ)ですね。
ここでは、マスク、シュノーケル、ライフベストとなるのです。
もちろん遊泳者の溺水事故防止のためです。



なかなかしっかりしたレギュレーション(規定)があり、ライフベストを着けずにシュノーケリングをやると、ライフガード(監視員)にすぐピーと笛を吹かれて注意されてしまいます。
ここの遊泳エリアは遠浅なので潜る必要はないからライフベスト着用で問題ないのです。



コタキナコさんのブログにはこの近辺で過去に発生したクラゲに刺され心肺停止になった子供への対応についての事例が載っています。
今回の私のミッションは、こういった海の安全対策を、特に応急救護の観点からチェックして報告とアドバイスをするというものなのです。
日常的にクラゲには刺されまくっている(涙)私ですから、世界一クラゲに刺された経験が豊富な救急法インストラクターかもしれません。



先ずは、ビーチの安全を担う最前線基地、ライフガードタワーに行ってみました。

今回のミッションのお話をいただいた時、勉強しなくちゃいけないなと思ったことがありました。取材となればインタビューが必要です。レスキューや医学用語の英語を覚えないと困るなと思いつつ、勉強する時間がなくてここまで来てしまいました。
でも、日本語堪能な二ベルさんが私が聞きたいようなことを全部質問してくれたので私の出る幕は無し(笑)



用意されている薬品類は一般的なもので充分揃っていると思いました。



こちらのStingose Sprayはイギリスのソーントン&ロス社の医薬品。
硫酸アルミニウムが主成分ですが・・・クラゲに充分な効果はあるのかな。



その他に、伝統的なお酢(ビネガー)も用意してありました。
とはいえ、クラゲの応急処置には諸説があって判断が難しいところです。
日本でもかつて軽度の症状の場合、カツオノエボシに刺された場合はお酢やアンモニアを使っていましたが、今では使ってはいけない部類に入っています。お酢などは刺された患部を刺激して悪化させるという考えからです。
しかし、沖縄のハブクラゲに対してはお酢が効果があるとしている文献が多く難しいところです。
現状は決定的な情報がないので、その辺の判断はその土地の考え方または、患者の希望で使う薬を選択するしかないかもしれません。

また、アナフィラキシーを起こし、心肺停止の危機が迫っていると判断できる場合はエピネフリンの自己注射キットを用意し、使えるような法的な環境整備が必要かと思います。
ただし、日本の場合はクラゲに刺されて死亡した症例はごく稀なので、薬事法を改正して医師ではない監視員が使用できるようにすることは難しいのではないかと思われます。
サバ州で一般人によるエピネフリンの投与が可能ならばライフガードは用意すべきでしょう。

あとは、AEDの設置でしょうか。
まだ、サバ州ではホテルや空港などでも目に付きませんが、これの普及も急がれると思います。AEDの設置は「安全を配慮しています」という看板代わりにもなる一種の宣伝効果があります。
欧米や日本ではほとんどの公共施設やホテル・ショッピングモールなどにAEDがあるのは常識となりましたが、これが法的に置けるようになったのはわずか9年前のことです。サバ州でもその気になればすぐ普及できると思います。

また改めて報告書を書かないといけないかなあと思いますが、とりあえずはこんなことを感じました。でも、日本の海水浴場と比べきちんとしたレギュレーションがあり、安全管理のシステムはサバ州の方がずっと進んでいると思いました。

さて、お仕事はほどほどにして、島内をお散歩。



山側に低い柵が設けられている一角があり観光客が中を見ていました。



なになに、トカゲに餌をあげないでください・・・・ですか。

トカゲねえ・・・・



ぎょえ~!コモドドラゴンか!!!
だって、2mくらいあるし。

ここはインドネシアのコモド島ではありません。いるわけありません。



これはミズオオトカゲ。飼っているわけではなく野生です。
BBQの匂いで山から下りてきてしまうので柵が設けられたのだそうです。

いかつい顔でノシノシと歩いて迫力があります。恐そうです。

が、



次の瞬間、ベタ~っとへたり込んでしまいました。
暑いのが苦手なのかもしれません。

そんなミズオオトカゲを柵越しに夢中で撮影していたら、



ギョエ~!私のすぐ後ろにでっかいのがいるじゃないですか。BBQグリルの下にも別のミズオオトカゲが歩いて、驚きました。
遠くから柵を迂回してお客さんのテーブルのところまで歩いてきちゃうんじゃあ、柵なんかしても全然ダメじゃん。

でも、この大きなトカゲは人に害を及ぼすようなことはないそうで、スタッフも全然気にしていませんでした。
こんなところが、ボルネオらしいところでしょうか。



お昼の時間になりました。
島の入場料にこのBBQのランチ代も含まれているのだそうです。



マレーシアの典型的なお昼ごはんだそうです。
中華とインドネシアとインド系が混ざったような感じ。
なかなか美味しかったです。



ランチを食べ終わり、早々に島を離れました。


MISSION 4 SURFING AT TANJUNG ARU BEACH

この後、波は無いようですが、コタキナバル市内の最もポピュラーなサーフポイントのタンジュアル・ビーチのチェックに向かいました。


トゥンク・アブドゥル・ラーマンパークの視察?を終了し、
迎えに来たS.M.I HOLIDAYのサトコさんも加わり、
午後はタンジュアル・ビーチへ。
と、その前に。



ボルネオと言えば、森の人オランウータンのイメージですね。
オランウータンのぬいぐるみですが、どうもこの顔はちょっと違うような感じがします。こちらの人のオランウータンのかわいさのイメージは、日本人が持つオランウータンのかわいさのイメージとはどうも違うようです。
女王のコタキナ子ちゃんの方が日本人の「かわいい」感覚に近いように思います。コタキナ子ちゃん顔のチャイルド・オランウータンのぬいぐるみも用意したらどうでしょうか。



このぬいぐるみが置いてあるお店の名は『カダイク』です。
サバ州政府観光局の直営の物産店ですから、ホンモノのMade in Malaysiaの物だけです。
安心ですね。せっかくのお土産にMade in ナントカが付いていたら貰った人もガッカリでしょう。しっかりMade in Malaysiaを確認しましょう。



熊山さんもミニくまちゃん用に買っていたカダサン族の網籠のミニチュアと、コタキナ子ちゃんの向こうを張ってテングザルのミニぬいぐるみを買わせていただきました。






ボルネオには様々な民族が住んでいるので、それぞれの民族の様々な工芸品が置かれていました。



私がお土産に買わせていただいたのは、サバティです。
マレーシアはイギリスの植民地でしたから、紅茶の生産の伝統があります。
マレー半島でもマレー産の紅茶がありますが、サバの紅茶は典型的な紅茶と言うよりも、少し緑茶っぽさが残る味わいです。以前、お土産で頂いたサバティを飲んだのですが、味わいが深くて今はセイロンティよりもお気に入りになっています。



お店を出て、タンジュアル・ビーチへ。
タンジュアルビーチはコタキナバル市街地の外れ、空港の隣というたいへん便利な立地です。
また、サーフィンができるビーチとして世界の波情報を伝えるMSWのサイトにも表示されているビーチです。この日の波はほぼフラットという情報だったので、サーフボードは持ってきませんでしたが、一応ポイントのチェックをしました。
実はサトコさんはコタキナバルで唯一の日本人ボディボーダー。
現在コタキナバルのローカルサーファーは30人ほどいるのだそうです。
波は滅多に立ちませんが、それでも徐々にサーファーが増えているのだそうです。



波が無いことが確認できたので、今日のホテルのチェックインすることになりました。
コタキナバル有数というよりも、世界的にも有名な5星ホテルの
シャングリラ・タンジュアル・ビーチリゾートです。

私の妻は25年くらい前に一人でこのホテルに泊まったことがあるそうです。
私がこのホテルを知ったのは、小説家の故 景山民夫氏が当時このホテルを一押しの隠れ家リゾートとしてブルータス誌で紹介していたのがきっかけでした。
読んではいませんが、氏の作品に『ボルネオホテル』というのがありましたね。



さすが、部屋も広くて清潔です。




ミネラルウォーターもペットボトルではありません。




バスルームも非常にゆったり。



ここにも総ガラス張りのシャワーブースがありました。



このホテルは夕陽の名所でもあります。ビーチサイドのサンセットバー。



皆さんよくご存知のようで、サンセットを見に来た宿泊客が集まっていました。





残念ながらこの日は雲が多く、夕陽はきれいに見えませんでした。



そして、夕方ロビーで迎えに来てくれたサトコさんたちとお出かけ。



サバ州グッズをフル装備したミニくまちゃん(何だか凄く似合ってる)たちと合流。






市内中心部にあるイタリアンレストランのLittle Italyで
明日帰国する熊山さんを囲んでの女王陛下の晩餐会でした。



これは熊山さんのキナバル山の登頂証明書。
ヴィア・フェラータは標高が3776mの地点なんですね。
偶然ですが、富士山の標高と同じです。



さすが、人気ブロガーの熊山准さん。
おもしろくて、いい人でした。
またお会いできればと思います。

11月7日 MISSION 5 DIVING AT SHIPADAN ISLAND (day 4)

ボルネオ・ミッション4日目。
朝の5時にホテルにお迎えが来ました。



夜明けのコタキナバル空港はまだクルマが少なく静かです。



あたりが明るくなってきたら、キナバル山が見えてきました。
静岡の人が富士山を誇りに思うのと同じように、コタキナバルの人はキナバル山を誇りに思っているようです。



明るくなるにつれ、空港の出発ロビー前には次々とクルマが来るようになりました。



コタキナバルからはマレーシア航空の国内便でタワウの空港まで55分の空の旅。



イスラムの白い装束を着た50人くらいの団体と乗り合わせました。もしかすると2日前のメッカ巡礼の日ハリラヤハジから帰ってきた人たちなのかもしれません。



とりあえずシャングリラ・タンジュアル・ビーチリゾートで用意してもらった朝食で腹ごしらえ。
さすがにリッチですね。



タワウという小さな街に向かう便なのでもっと小さな飛行機かと思っていましたが、
B737-800の160人乗りクラスで満席でした。



飛び立ってすぐにキナバル山頂上付近を通過。
不思議な形の岩盤の頂上で、いずれ登ってみたいと思います。



タワウの空港に到着しました。
外は迎えの人で溢れていました。巡礼の人たちの出迎えでしょうか。
お祭のような人。



今回利用するボルネオダイバーズのバスが迎えにきていました。
ボルネオダイバーズはコタキナバルに本社を持つ最も歴史あるダイビング・サービスで、古くからシパダン島のダイビングの開発に中心的な役割を担ってきた会社です。



バスはしっかり舗装整備された幹線道路を港のあるセンポルナの町へ向けひた走りました。
車窓から見える景色は、一面のアブラヤシのプランテーション。
これが1時間以上の移動中、ほとんど同じ風景でした。行けども行けどもアブラヤシ。
いかに広大なジャングルの木が伐採され、アブラヤシに変わったのか思い知らされました。



センポルナの桟橋に到着し、ボートに乗り換えます。
荷物の積み替え等は全てボルネオダイバーズのスタッフがやってくれます。
普段の国内のダイビングでは重い機材はもちろん、タンクを運ぶことさえ自分たちでやることが多いので、荷物を運んでもらえることだけで感謝してしまいます。



桟橋には屋根がついていて、アーケードのよう。
入ってすぐの広場には伝統的なバジャウの船が展示されていました。
この形の置物がサバ政府観光局の直営店『カダイク』にありましたね。



壁には付近のダイビング・スポットのマップがありました。
名前が付いているスポットだけで1001もあるんですね。
毎日2ダイブづつ潜っても3年かかる計算です。潜りきれませんね。



桟橋の両側には各ダイビングサービスなどのオフィスが並んでいました。
桟橋の先端まではかなりの距離。



オフィスの裏手にはバジャウの水上集落が広がっていました。
バジャウは大昔からフィリピン南部からサバ州にかけてのスールー海を漂泊してきた民族です。
マレーシア政府の政策で陸上に住むバジャウも増えましたが、海岸の水上集落は広大な広さに渡っていて集落というよりも町や市に匹敵する広がりを見せています。
バジャウは古来よりフィリピン諸島とボルネオを往来してきたので、国境の感覚が希薄なのでしょう。
最近はフィリピンから政治経済が安定したマレーシアへの不法移民がとても増えているのだそうです。
でも、これでは取り締まりは難しいですね。



桟橋の先端から、ボルネオダイバーズのボートでボルネオダイバーズ・マブールリゾートへ向かいました。



対岸の島にも水上集落が広がっています。



ボートはしだいに外洋に出ていきますが、セレベス海はほとんど波らしい波は立たず穏やか。



本日の乗客は中国人の2家族6名と、フランス人の一家4人。
クルーが中国人客にライフベストの着用を何度も依頼していましたが、彼らだけ着用を拒否していました。
やはり評判通りですが、日本でも天竜川の転覆事故以降ですからね、義務付けられたのは。



1時間ちょっとの船旅はほとんど揺れず、しだいに深い紺色になる海を楽しみながら進みマブール島が見えてきました。



マブールリゾートのジェティ(桟橋)の先端に到着。



ジェティ先端のダイビングジェティにはデッキチェアもあり、リゾート気分。



さっそくスタッフのリアナさんから施設の説明がありました。
ここは先ほどの反対側にあるダイビングボートの乗り場。
機材の洗い場やシャワー、機材ロッカーやウェットスーツ干場、カメラ置き場などがまとまっています。
そのため滞在中、重い機材を部屋まで持っていく必要は無いのです。



ここはレンタル機材のカウンター。レンタルも安いので何も持たずにこの島へ来る人たちも多いです。



ダイビングジェティから島へ向かう浅い海も御覧の通りの美しさ。



島の中は適度に木々が植えてあり、日陰が作られています。



リゾートの一番奥にあるレストラン棟に先ずは集合して、



こちらがレストラン内部。3食+おやつやソフトドリンクはいつでも飲み放題食べ放題。



その奥にある広い部屋で施設の利用法やシステムなどを説明するオリエンテーション。
最後に書類が渡されて、安全に関する誓約書にサインをしました。



泊まる部屋は敷地内に2部屋が1棟になっているシャレー。
室内はこんな感じで清潔です。
シーリングファンとエアコンもあり、お湯のシャワーも出ます。
サーフィンで海外に行くとエアコンなしお湯なしの宿に泊まることはあたりまえですから(>_<)、比較にななりませんけど。



レストランでお昼ご飯を食べた後、1時からオリエンテーション・ダイブでした。
つまり、お客がどの程度のダイビングスキルかチェックして調整するためのダイビング。
その時は、カメラの持ち込みはできないので、この写真は実は翌日のモノ。

でも、海底の写真がないと寂しいのでちょっと出しておきましょう。




魚の写真はタイミングが難しいですね。接近しないと青色の強い写真になってしまうし、近づくとあっという間に向きを変えてしまうし。



止まっているモノならなんとかなりますが(^_^;)

そんなこんなで午後はダイビングジェティから飛び込んでの2ダイブ。
もう雨期なので透明度がちょっと低くて残念でしたが、なんとかウォーミングアップできました。

さて、シパダン島のダイビングには制限があります。
以前シパダン島には数件のダイビングサービスと宿泊施設がありました。
世界的にも有名になったためダイバーの増加とそれに伴い環境が悪化する事態になりました。
そこで、シパダン島の全てのリゾートが撤去され、近隣のマブール島などに分散され、シパダン島は国が管理する公園に指定されたのです。
そして、1日にここへ潜ることができるダイバーを120名までに限定することとなったのです。

今、日本では富士山の混雑と環境の問題から入山制限の問題が提起されています。
世界遺産登録の付帯条件に入山制限を実施することが決められていますが、
静岡県も山梨県も地元の観光業者の圧力で入山制限の実施がしにくい状況に置かれているようです。
このままでは世界遺産登録抹消の可能性もあるだけに待ったナシだと思うのですが。

それをずっと前から行っているのがここサバ州のキナバル山でありシパダン島なのです。
日本も見習わなくてはいけない事例がサバ州にはあるのです。

さて、120人の制限に対し、対象リゾートやサービスは10件ほど。
ボルネオダイバーズは一番多い1日14人の枠を持っています。
部屋数30で60人まで泊まれるリゾートです。
私がここでダイビングできるのは1日だけです。
さて、シパダンに潜ることはできるのでしょうか。

11月8日 MISSION 5 DIVING AT SHIPADAN ISLAND (day 5)     

朝8時、ボルネオダイバーズ マブールリゾートのダイビングジェティを出発。



天気は曇っていてちょっと光量不足ですが、暑すぎなくて良いかなという感じでした。
風はほぼ無風。水温は30℃以上。



シパダン島が近づいてきました。外見上は何の特徴もない島です。



シパダン島のジェティには国の公園管理事務所があり、そこで許可証の確認をします。
名前と国籍、パスポート番号も記入しないと許可が出ません。
なかなかに管理がしっかりしています。

 このブログ、地図を入れれば判り易いかなと今更ながら気づいたので、ボルネオダイバーズのマップを引用します。
シパダン島はボルネオ島の東海岸、コタキナバルの南東に位置します。セレベス海に浮かぶ幾つかの島のひとつです。
このあたりはイスラム教徒のフィリピン系バジャウ族が多く住む地域でマブール島にもバジャウの村があります。







シパダン島とその他の島とでは大きな違いがあります。



シパダンの公園事務所に貼ってあった看板ですが、マブール島などの他の島は比較的浅い大陸棚の上に点在する珊瑚礁の島であるのに対し、シパダン島は水深600m以上の深い海底から噴火した海底火山の上にできた島なのです。とても特異な地形を持った場所なのです。
釣りをする人ならお分かりと思いますが、こういった場所は大型の外遊性の魚が集まるポイントなのです。



早速潜ることに。今回は午前中2ダイブ、午後1ダイブです。
本来は4ダイブが基本ですが、私は翌日の午後2時には飛行機に乗ってコタキナバルに戻らなくてはならないからです。
飛行機に乗ると気圧が下がるので、潜水の高圧下で発生し、体内の血液に残留した窒素が沸騰する、いわゆる潜水病の危険が発生するのです。そのため、飛行機に乗る24時間前までにダイビングは終了しなくてはなりません。



潜行途中で1枚。




最初は浅い場所から深場へ。



ヤバい系もいれば



癒し系も



旨い系もいます



ダイブマスターのリアナがマンツウマンでガイドしてくれました。
珍しい魚を探してこんな風に撮り方まで教えてくれます。



なるほど、色まで保護色にしてじっとしている魚は見つけられないです。
ギリギリまで接近して、撮影。よしよし。



あ、行っちゃった(T_T)/~~~



シック系もいれば、




ニモのような派手系もいます。



群れ



群れ



群れ



あれ。



かめ。



カニ



おや、





何かでっかい黒い影



うひゃああ。



出ました!名物ジャックフィッシュのスクール。
30cm以上あるギンガメアジの大群です。

うわあ、1匹でいいから釣りてえ。

この大群の下にはバカでかいジャイアント・トレバリーが張り付いていたのも確認できました。



地雷のように海底にゴロゴロ転がってる、サメ



カメ



オレ

そしてクライマックスは



バラクーダポイントの名の通りの



バラクーダのスクールでした。



やあ、素晴らしい海でした。
まさしくクストーの海底世界をライブで体感しました。
もう1ダイブできればもう一つの名物カンムリブダイの行列も見れたのですがまあ、充分大満足でした。


11月9日 MISSION 5 DIVING AT SHIPADAN ISLAND (day 6)

ダイビングを終え、シパダン3日目はコタキナバルに戻る日。
久々に朝からのんびり。



リゾート内をちょっとだけお散歩。






シャレーのテラスで防水カメラのチェックなど帰る支度を徐々に始めました。



ゆっくりと朝食を食べました。
どこの国でもネコと人の風景は同じですね。

滞在中のお客さんは中国人とフランス人が多かったですね。
特に中国人は急激に増加しているようです。
本格的なダイバーではなく、家族連れでリゾートに遊びに来ている感覚でしょうか。
それに対し、日本人は激減しているようです。
このリゾートでは初日の夜2人連れの日本人女性に出会っただけ。
彼女たちも滞在中に出会った日本人は私だけだそうです。
また、驚いたことにこのお二人は同じ静岡からで、しかも私も知っているダイビングショップのMIUさんの常連さんでした。世界は広いようで狭い。
シパダンでも日本人ダイバー比率は10%以下でしたね。
かつては日本人ダイバーだらけで敬遠されたこともあったようですが、今は落ち着いた状況になってきているようです。お話した横浜からの年配のダイバー夫婦は、何度もシパダンに通うほどこのエリアの魅力にハマっているそうです。そんな魅力あふれるボルネオです。



食後は、干してあったウェットスーツなどの機材をダイビングジェティに取りに行きました。



リゾート内にはガゼボでエステが受けられたり、



プールで過ごすこともできます。



最後にお昼ご飯を食べてボートに乗り込みました。
ネコに見上げられると、弱いですね。こっそり鶏肉あげちゃいました。



タワウの空港で、急病人を飛行機に乗せるために30分ほどの遅延がでましたが、無事飛び立つことができました。救急車のマークは赤十字社ならぬ赤新月社のもの。イスラム国ではキリスト教の十字マークは使えませんから月のマークになります。



帰りの飛行機はイタリア・フランスの合弁で開発されたATR 72-500。70人乗りクラスの小型機で、満席。
お隣の席のテ二アンからビジネスで来たという白人から、このサバ州産のチョコレートが美味しいよと奨められました。日本のODAにも詳しい方で、タワウのエビの養殖事業や自然保護プログラムの話をしてくれました。
一人旅ですと、リゾートなどでは浮いてしまう存在になってしまいますが、こうした交通機関で乗り合わせた人と話が弾むケースがあるので良い経験ができますね。



空港ではS.M.I HOLIDAYの二ベルさんが迎えに来てくれていました。
泊まる予定のホテルがオーバーブッキングだったようで、3つ星ホテルから5つ星のメリディアンに変更になりました。ラッキー!

5つ星のメリディアンですよ、ヴェリディアン3号星ではありませんよ。・・・・って一部のトレッキーな方しかわからないお話ですみません。



広々でシックなデザイン。いいですね。
特に気に入ったのが



デスクがあるんです。自分のベッドルームもこんなふうにしたいなあ。



ここにも全面ガラス張りのシャワーブースが。



お風呂も広々リッチです。

実は、今回の旅ではお風呂にゆっくり浸かる時間がなくて、シャワーだけだったんですよ(T_T)
やっぱりせっかくのチャンスなので、出来るだけ多くのモノを見て経験しておかなくてはと思いました。



市街地の中心に立つメリディアンホテルの前には屋台村とマーケットがあります。



その先の岩壁ではバジャウの漁船が市場に魚介類を運びこんでいました。



この日はサタデイナイト。街は賑わいだしていました。



ホテルの窓からは見事なサンセット。

夕飯の時間までの間、街を探索してみることにしてみました。



ボルネオというとジャングルのイメージで未開の部族の部落か、アジア的な埃っぽくて生臭い町をイメージしてしまいがちですが、とても近代的で整然としています。



スタバも普通にあるし、



なんとクイックシルバーも



ロキシーも!
ただし、サイフボードやサーフ用品は置いていません。サーフィン人口30人ですから。
こちらの人もリゾートウエアメーカーだと思っているようです。



お洒落な本屋さんもあるし、



日本でポピュラーなブランドのお店なら、たいていはこの街にもあるという感じです。



歩き回っていたら、中心街の真ん中にあるショッピングモールの『センターポイント』に入っていました。



マックもケンタもありますし。



ワタクシ愛用の旅用ミニパソコンのASUSもありました。



iPhone5cはこっちでも0円キャンペーン。



これ本物か?麦藁のルフィーも人気者なんでしょうか。

その後は、あの夜店のマーケットに行ってみました。



野菜・果物なんでもドカンと揃っていて、めちゃ安いのだそうです。



マグロのぶつ切りドーン。



凄い活気です。



アジアンパワー感じます。

そして夕ご飯。



女王は出張中でコタキナバルにはいないため、
S.M.I HOLIDAYの二ベルさんとサトコさんがこちらへ連れて行ってくれました。



まさしく行列のできる超人気店。



せわしないと言えばせわしないのですが、



これぞアジアの夜を満喫ですね。



マレーシアの鍋料理『肉骨茶』(バクテー)です。
普通は土鍋で煮込むのが主流ですが、
このような形も人気だとか。
豚の内臓系がメインですが、それ以外もオーダーできます。

こういう慣れないものには苦手意識があったのですが、
美味しく頂けました。

さて、明日はいよいよボルネオ島の一番北にあるクダットへ出かけてサーフィンの予定です。
そのための食料を買うためスーパーマーケットに寄りました。





野菜、くだもの、お菓子類、日用品など商品も種類も豊富でした。




ボルネオ島の古来よりの特産品、胡椒も豊富な種類と量が揃っていました。


さて、明日は最終ミッション。私の一番のお目当てのサーフィンです。
旅行前、インターネットでボルネオでのサーフィンの記録を探したのですが、日本人が書いた記録でまともにサーフィンの写真が載っているような物は見つけることができませんでした。
ひょっとしたら、本邦初公開のボルネオのサーフィンをご紹介できるかもしれません。



11月10日 MISSION 6 SURFING AT KUDAT (day 7)

いよいよファイナル・ミッション

朝は3時半起きでした。



4時、Wendy Tours(S.M.I HOLIDAY)のサトコさんと彼氏のBarryさんが迎えに来てくれました。
今日はいよいよボルネオでサーフィンです。
途中、未舗装路があるとのことで、会社のハイエースではなく、サトコさんの4WDで来てくれました。
屋根にボードを積んで出発



前日に超大型台風の台風30号がフィリピン・レイテ島を襲い大変な被害をもたらした模様でした。
フィリピンと隣接しているサバ州ですから波が大きすぎてしまうのではないかと危惧しておりました。
でも、台風は北の方へ去って行ったようです。


朝、まずチェックしたのが、
世界の波予報を伝えるMSWのポイント予想。

波のサイズもほどほど、風もほぼ無風の絶好のコンディションの予想でした。
出来過ぎです。
しかし、初めての場所。他にはほとんど情報らしい情報がありません。

でも、今回の強みは、ガイドしてくれるサトコさんが唯一の日本人ボーダーなら、
Barryさんはローカルサーファーです。
かつてはボルネオダイバーズに務めていた事もあるダイビング・インストラクターですからこれ以上の案内役はいません。



コタキナバルの市内を抜け、時速80キロくらいで夜の幹線道路を突っ走って行きました。
ただし、アジアの他の諸国よりクルマも多くはなく、マナーも悪くはありません。
道路も広く舗装整備されています。



1時間半ほど走って夜が明け始めました。
あたりはすっかり農村風景。
犬や牛や鶏などの家畜が放し飼いにされていて道路に寝そべっていたりして、注意しないとぶつかってしまいます。
実際、何十という轢かれた犬や鶏の死骸が道路上に点々としていました。
水牛にぶつかったりするとクルマは大破、牛の弁償金も払わなくてはならないそうです。
そんなことがあると、すぐに近所の人が集まって解体ショーが始まってしまうそうです。



途中の小さな町でトイレ休憩。



目的地のクダットは島としては世界第3位の広さを持つボルネオ島の一番北の先端です。
コタキナバルからはクルマで3時間半かかるので、サーファーは非常に少ないという場所。
時間的には静岡から伊豆下田に行くのと同じくらいです。
プチ・トリップ感覚でしょうか。



途中、一部に未舗装路がありましたが、豊浜の方がガタガタですねえ(笑)
ボルネオで四輪駆動車というと、キャメル・トロフィーみたいな道をイメージしてしまいますが、道路は整備されています。

そして、



目的地のクダットのビーチに到着しました。
とても静かで穏やかなビーチ。
早速、砂浜から沖を見ると。






予想したほどのサイズはありませんでしたが、
ビューティフルでワンダフルな波でした。

ローカルの若い子たちが3名入っているだけ。







仲良し3人組でローテーションするような形で波をシェアしていました。



ビーチにはこんな小屋があり、



ローカルの子供たちが遊んでいました。
今日は、日曜日です。
もっと多くのサーファーで賑わっているのかと思っていました。
こんなに美しく手頃なサイズの波がある日曜日でこの状態です。まさしく天国です。

私とBarryもここへ入ることにしました。
先に入っていた3人の邪魔にならないように一番良い場所は避け、
少し離れて波待ちしました。
良くない場所からでも上手く乗るというのが腕の見せ所。
初めての場所でローカルから一目置いてもらい、友達になるにはそういう姿勢が必要です。




波が滅多に立たないコタキナバルに住むBarryですが、積極的に乗っていました。



手頃なサイズ、きれいな波ですが、ミドルからインサイドの早めのブレイク。
私の好きなアウトサイドの大き目をカットバックで繋いで乗る波とはタイプがちょっと違います。
でも、きれいな波はとても気持ち良く乗れました。




こちらはローカルの兄貴分的な存在のSidi。
気さくないい奴でした。





インサイドが掘れるので、入れるかなあと覗きこんでみました。



狙ってみましたが、抜けられるような波はありませんでした。

でも、充分過ぎるくらい大満足。



一旦上がって



こちらで朝食をとることにことになりました。



ビーチのすぐそばに建つ、



Tip top restaurantです。
サトコさんがここのオーナーのHoward Stantonさんに紹介してくれました。
彼はここに移り住み、レストランとTampat A Do man(かな?)という宿を建て、
地元の食材を使い、困っている地元の人たちを助けながら経営しているのだそうです。
気さくないい人のようです。



この日は壊れたアンテナの修理で忙しいようでゆっくりはお話できませんでした。



レストランの壁には、近隣のシュノーケリングスポットやサーフポイント、ウォーキングトレイルなどが描かれた手書きの地図がありました。
このエリアはビーチブレイクだけでなく、リーフブレイクもあるとのこと。



食後に、他のポイントを見に行く事にしました。



あたりのビーチには漁師以外の人影は無く、とても静か。



砂州で地続きになった丸い島に沿ってブレイクするライトハンドのリーフブレイクと
その反対側にレフトブレイクがありました。
とてもロングライドができるのだそうです。
波が小さすぎたので入るのを止めましたが、今思えば、入っとけばよかったかな。



一応観光地のTip of Borneo
ボルネオ島の先端に行ってみました。



この先端から左側は南シナ海、シンガポール・タイ・カンボジア・ベトナム・中国に繋がります。
右側はスールー海、フィリピンに隣接しています。



他のポイントは波が小さいので再び最初のポイントに戻ってきました。



極薄のボードに乗り換えたSIDI.



小さな子もがんばっていました。



Barry



Sidi



私ももう一回入って満喫することができました。
大満足。

さて、ここのポイント名は『ロングハウス』



正面にSidiのお父さんが所有するロングハウスがあるのです。
ロングハウスとはルングス族の民家のことで、普通は4~5家族がこの1件の家で共同生活するのだそうです。
でも、このロングハウスは宿として使われています。



看板を見ると、ロングハウスで雑魚寝なら1泊40リンギット(約1200円!)だそうです。
このコテージ型も借りれますよ。

ちなみにシャワーはこの青いタンクの水をお借りしました。




ここに長期滞在してこんなふうにのんびり波が来るのを待つ日々を送るなんていうのは贅沢でしょうか。



Barry、そしてサトコさん、ほんとうにありがとうございました。
かなりスペシャルなサーフィン体験。
また訪れてみたいものです。



帰り道、沿道のお店で名物の焼きトウモロコシを頂きました。
焼きトウモロコシといっても、焼き方が日本とは違いました。
皮が付いたまま焼くので、トウモロコシは蒸し焼きみたいになります。
これもまた妙案ですね。



コタキナバルの少し手前で、ガソリンを給油しました。
ペトロナスのスタンドです。

ペトロナスといえば自動車のF1レースのメルセデスAMGペトロナスチームで世界的に有名です。
ペトロナスはマレーシアの国営石油会社。

クアラルンプールのペトロナスツインタワーは20世紀に建てられた高層建築では一番の高さ452mの88階建て。ツインタワーとしては現在も世界一です。ちなみに日本で一番高いビルは昨年完成したあべのハルカスの300m60階です。2位は横浜ランドマークタワー。

マレーシアは強力な経済基盤を持つ伸びしろがある国なのですね。



コタキナバルの最後の夕陽。



夕飯は女王の飛行機が飛べなくなったとの知らせで、
最後にお会いすることができませんでしたが、
サトコさんとBarryと3人でスチームボードという鍋料理を頂きました。



これも美味しかったです。

日本人はマレーシアについてあまりに知らないことが多いなと実感されます。

サバ州だけでも富士山より高くて整備された世界遺産キナバル山があり、
シパダンのような世界的なダイビングスポットがあるセレベス海の島々、
その他、今回は訪れることができませんでしたが、
キナバタンガン川のサンクチャリ、セピロックのオランウータン、ダナンバレー自然保護区他あちこちに野生動物の宝庫があります。
ハワイより近い6時間弱の飛行機、しかも時差は1時間で時差ボケなし。
良い事ずくめなのです。
ただし、あまり知られていないボルネオ。
今回のブログで少しでも知る人が増えてくれれば良いなと思います。

まだ書き足りない事を後から追加するかもしれませんが、
とりあえず、これでボルネオ・ミッションは完了です。

皆様、長い文章を読んでいただきありがとうございました。  


Posted by エディ立川 at 23:122013年11月 ボルネオ・ミッション

2013年02月12日

Wild Wild West Jawa 2003

2003年の3月末のことでした。2nd Jobだった公共プールの仕事が突然終了になってしまいました。会社がアホなので競争入札で他社に仕事を取られちゃったのです。1st Jobの救急講座の次の仕事まで2週間のスケジュールが空白になりました。考えてみれば願っても無いチャンスです。若い頃から未開の地へ未知の波を求めて旅をする事が夢としてありました。
急いで行き先を考えました。第一候補地はインド洋大津波で世界的に有名になってしまったバンダアチェ。ここへ行った事のあるサーファーなどほとんどいないでしょう。しかし内戦のため入域できませんでした。そこで当時はまだポピュラーではなかったジャワ島西部のチマジャとロンボク島に決めました。大急ぎでサーフトリップ専門旅行社のOMツアーに電話をし、無理を言って3日後に旅立てるように手配してもらいました。
 こうして20年来の念願だったディープなアジアへのサーフトリップが実現したのでした。

この旅は思い出深い旅でしたが、PCのトラブルで写真がほぼ全滅してしまいました。かろうじてビデオテープに残された映像がありましたのでビデオテープから切り出した画像を使いました。画質も低く見るに耐えない画像ですが、WILDな旅にはこんな写真もまたふさわしいかとも思っています。



当時はニューヨークの同時多発テロから1年半、バリ島でテロが起き、イラクで湾岸戦争が起きていました。
世界最大のイスラム教国インドネシアでのさまざまなウワサが飛び交っていました。アメリカ製サーフボードを持っていて襲われたとか、アメリカ企業のロゴTシャツを着ていて殴られたとかです。そんな中で新型肺炎のニュースも広がっている最中の旅となりました。
 成田からバリ経由でジャカルタへ。インドネシアに肺炎はまだ飛び火する前でしたが空港はマスクをした人がいっぱいでかなり不気味でした。空港からは旅行社の手配した車で6時間の夜のドライブ。交通事情の酷さはバリ島を遥かに上回ります。道は細くくねくねと曲がっていて、行き交うドライバーは皆自分がシューマッハにでもなったつもりなのか、前に車がいる限りどんな細道だろうが、対向車が迫ろうがアクセル全開で追い越しをかけて行きます。片側1車線をトラックが真っ黒な煙を吐きながら塞ぎ、その横をお客満載のベモ(スズキの軽1ボックス改造の乗り合いバス)が苦しそうに追い越していき、乗用車やミニバンがそれを追い越すという2重追い越しです。命が幾つあっても足りなくなりそうです。深夜2時、ようやくチマジャのホテル「デサ・リゾート」に着いたときはもうぐったりでした。





 屋外にあるホテルのフロントでチェックインしました。ふと見上げると壁一面にゲッコーの模様があります。熱帯らしい壁紙だなあと思って近づくと、無数の本物のゲッコーが蠢いていました。部屋に入りとりあえずシャワーを浴びることにしました。バスルームのシャワーヘッドが取れてると思ったら水道管はただの竹の筒でした。不安定な湯温のシャワーを浴び、荷物も解かずに早々にベッドに潜り込みました。
今回はかなりWild & Heavyな旅になりそうな予感がしました。





朝目を覚ましても、ここが何処なのか実感が湧きませんでした。西ジャワにいるのだというのは体が疲れきって重いことでようやく理解できました。
それでも無理やり重い体を起して波の様子を見に行きました。ここまで大変な思いをしてきたのですから少しでも波乗りのできる波があってほしいものです。
ホテルから浜までは歩いて3~4分でした。浜は大きなゴロタ石の海岸です。40年前の西湘の酒匂川河口に似ていると言われています。ただ、周りは鬱蒼とした熱帯植物に囲まれています。そして波はありました。なんと頭半~ダブルのサイズ。ハワイ流で言えば3to4ftというところでしょうか。インサイドはチューブを巻いています。5~6人のローカル・サーファーが果敢に突っ込んでいました。
それを見てますます体がドッと重くなってしまいました。良い波なのですが、初日からこれはHeavyです。

ここまで来て海に入らないわけにもいきませんので、ホテルに戻り荷物の梱包を解き、サーフィンに行く準備をしました。
初めてのポイントでもあり、インサイドはウニがいっぱいということなのでリーフブーツを履きました。
そもそもウエストジャワを選んだのはまだまだヒトが少なく波もコンスタントにムネ~カタでヘビーな波は来ないと聞いていたからです。

ダックダイブを繰り返し、やっとのことで波を潜ってアウトに出ました。
慣れたローカルたちはテイクオフに良い場所を良く知っていて、いいところから乗ってきます。
私も何本か乗りましたが、早いブレイクに捕まって激しく叩きつけられる展開。
最初のトライは結構ハードな思いとなりました。

強烈な波の洗礼を受けた初サーフの後は、シャワーを浴びホテルのレストランで朝食を摂りました。熱いコーヒーを飲むとようやく一息つけました。



このホテルには売店すらないのですが、かわりにサーフショップがあります。そこのサーフィン・ガイドがテーブルにやってきました。手ごろな波が何処かにないかと聞くと、いろいろなポイントがあるようでした。早速彼にガイドをお願いすることにしました。ガイドを雇うなどというと大名旅行のように聞こえますが、レンタカー代よりずっと安上がりです。彼らはそれで生計を立てているのですし、我々トリップ・サーファーにとっても見知らぬ土地の限られた時間の中で確実に波と出会えることは大きなメリットです。リーフなどの危険箇所や潮の流れなど、安全に必要な情報も得られます。そして何より地元サーファーとの会話が出来ることが最大のメリットなのです。

 案内された所は、小さな入り江で波のサイズは腰くらいでした。これはこれで私にとっては苦手な小波なのですが、今回は少しホッとしました。海には大阪から来た若い兄弟サーファーと数名のローカルが入っていました。関西人には何処にでも出かけていくバイタリティがありますね。さて、このポイントは波数が少なくあまり乗れる波が入ってきませんが、インドネシアらしい周期の長い波です。急な日焼けを避けるため時々海からあがって木陰で休み休み波乗りをしました。何しろ陽射しは強烈で冬の日本から来た人間には Wild & Hard な土地なのでした。




夕方になり、近所のお店が閉まる前に水やお菓子などの非常食を用意しておこうと買出しに出ました。こんな場所ですから何が起こるかわかりません。ホテルのまわりの集落には小さな雑貨屋のような店が幾つもありました。とりあえず一番近い店に入りました。
「Hi! Eddie!!」といきなり店の人が声をかけてきました。
私は戸惑いながらも「Hi・・・」と答えました。何で俺の名前知ってるんだ。
お店は、といっても昔の日本の駄菓子屋よりも小さいくらいの雑貨屋です。置いてあるものはミネラル・ウォーター、コカコーラ、ファンタ、粉ミルク、粉末ココア、ビスケットくらしかありませんでした。水やビスケットなどを買いました。店の人も暇なんでしょう。片言の英語でいろいろと話しかけてきます。
小さな村なのでホテルに泊る外国人のうわさはすぐに広まるようです。
ここでは娯楽と言うものがありませんから、噂話は良い娯楽なのでしょう。
ここらへんで繁盛している娯楽施設は「プレステ屋」と私が勝手に名付けたお店です。
家庭用のテレビとプレイステーションを3台ほど並べて、若者相手に金を取って遊ばせている店です。
さてホテルへ戻り、レストランに行きました。メニューはインドネシア料理、洋食、中華とありますが、どれも4種類くらいしかありません。結局普通の洋食を注文し、合わせてジュースを注文しました。





料理がなかなか出てこないのはこういうところではしょうがないと諦めていました。しかし、ジュースもなかなかでてきません。15分程経って厨房からガーガーと大きな音が聞こえてきました。ようやくミキサーをかけています。そしてすぐにそのジュースは出てきました。飲んでびっくり、すごく美味い。新鮮です。パパイヤ・マンゴ・バナナなどトロピカルフルーツはメチャ美味です。後でわかったことですが、フルーツはお客の注文が来てから近所の木に採りに行っていたのでした。

注文してから食べ終わるまで約2時間。お腹もやっと膨らんだので部屋へ戻りました。
しばらくして昼間のサーフガイドたちがビール片手に遊びに来ました。
世間話をしているとガイドの一人がポケットから手巻きの紙巻タバコを取り出し火をつけました。
なにやら懐かしい香りがします。
そうです、ポレポレ島で「ナニカナ」と呼ばれている植物の葉っぱです。
誘われるまま煙に巻かれることにしました。
「おお、効く効く。」良い感じです。

夕食を食べたばかりなのにお腹がすいてきました。マンチーズという現象です。
買ってきたビスケットをムシャムシャと食べてしまいました。
こうしてWest Javaの1日目は早くも夢見心地のうちに更けていったのでした。





朝起きるとベッドの横にビスケットが食べ散らかしてありました。
一枚手に取り食べてみました。
「うへ~、不味い」
昨日はあんなに美味しく感じたのに、実はとんでもなく不味いお菓子でした。マンチーズになると何でも美味しく感じるのです。
この日は同じホテルに滞在している日本人サーファーたちと行動を共にすることにしました。移動の車代などを節約するためです。大阪の兄弟サーファーとジャカルタに駐在経験のある若者といっしょにガイドの車に乗ってポイント探しに出かけました。しかし、目ぼしいポイントは波が大きすぎてクローズアウト。




1時間以上走り回っても手ごろなポイントは見つかりませんでした。もはや疲れがピークに達していて、大波に立ち向かう元気はありませんでした。しかたなく昨日の入り江のポイントに入りました。今、この地域にいるサーファーは日本人の我々と5~6人のオージーとローカル・サーファーだけです。ローカルもフレンドリーです。我々も皆で同時に入ることはせず、混雑しないよう交代で入りました。




 ここ西ジャワのベストシーズンは5月からです。シーズン前なので波はまだ小さいだろうと思っていました。けれど思わぬ大波に迎えられてしまいました。 ここチマジャはジャカルタに住む金持ちが週末をすごすためにやってくる場所のようです。
ホテルも週末はジャカルタからのビジネスマンの家族連れで埋まります。みんな大声をだして携帯電話でどこかと話をしていました。Wildな波と景色と日本の昭和30年代を思わせる村の生活。それと携帯電話のビジネスマン。頭の中が混乱してきます。もっとも混乱してくるのは「ナニカナ」のせいかもしれません。

小波でのサーフィンが続いたせいでフラストレーションが溜まってきました。せっかく遠くまで来たのですからやはり大きい波に乗っておかなくてはもったいない。
今朝は気力をアップさせて朝からチマジャのメインポイントに入ることにしました。




波は相変わらず、頭半~ダブルです。このくらいのサイズの波は御前崎でも台風の時には立ちます。しかし、そのパワーは比較になりませんでした。
ポイントには昨日同行した日本人青年が一人だけです。彼はテイクオフに手こずり1本も乗れていませんでした。普通のサーフボードでは素人には少々難しい波です。私は大波用のセミガンを持ち出して沖にパドルアウトしました。
サーフィン映画の中に入ってしまったようなシチュエーションです。
規則正しくブレイクする美しくも威圧感のある波。
椰子の木が生い茂る海岸。
強烈に照りつける太陽。
求めていたものがすべてここにありました。

しかし、乗れません。パドルアウトだけで疲労困憊です。慎重に波を選んでテイクオフを試みますが、レイトテイクオフになって乗ってもすぐに波に捕まり潰されてしまいます。それでも1~2本は何とか乗り沖へ戻ろうとしました。
その時でした。一際大きなセットの波が入り、目の前で激しく崩れ、爆発したかのような勢いで迫ってきました。すぐにダイブして逃れようとしましたが、モロに喰らってしまいました。巨大洗濯機に入れられたようです。すごい圧力で沈められ、押さえつけられ、グルグルに巻かれました。永遠に水面に出られないのではないかと思いましたが、何とか顔を出すことができました。しかし、まさかとは思いましたが、履いていたリーフシューズの片方が足先からもぎ取られていました。
履いていたブーツをもぎ取られるパワーも恐ろしいですが、リーフシューズなしではケガの危険があるので、このチマジャ・メインポイントは乗り納めになってしまいました。
僅か3日目で大波はこりごりという状態になってしまいました。
波もWild and Hardな旅になりました。




ホテルへ戻るともうぐったりでした。
そこで、庭のプールでのんびりすることにしました。今回の旅は揉まれっぱなしです。
でもここは熱帯です。4月の頭だというのに暑いです。虫は多いし、道はガタガタだし、食べ物も限られますがサーファーにとっては楽園です。




しばらくしてサーフィンガイドの子がやってきたので、いっしょに泳いだりして遊んでいました。
「何処かに手頃な波はないの?」私が質問すると、彼は少し考えてから「ボートでサワルナ・ポイントへいこう」と言い出しました。グーフィーの波でサイズは胸くらいなのだそうです。ボートで一時間くらいの所にあると言っていました。ここ西ジャワのポイントは何故かレギュラーのサーフポイントばかりです。グーフィーの波は苦手ですが波もそれほど大きくないようですしたまには良いかもしれません。ボートトリップも面白そうです。ガイドの子は他の日本人にも話を持っていって皆で行くことになりました。
モーターボートで一気にポイントまで行けて、ダック・ダイブ(ドルフィン・スルー)無しで波にアクセスできます。おお、楽そう。ようやくFUNウェーブで遊べそうです。




翌朝はまだ暗いうちに起きて出発しました。相変わらず体が重い。それに「ナニカナ」の影響か、頭もボケボケでした。インドネシア製トヨタ・キジャン2台にオージー1名を含むお客6人とガイドと称する地元サーファー6~7人が乗り込みました。ガイドの人数が妙に多すぎますが何人来ようが気にしていたらキリがありません。構わず出発しました。大量のサーフボードを車の屋根に積むとサーフ・トリップという気分が高まります。とてもワクワクしてきました。30分ほどで小さな漁村に着きました。「港から出るんじゃないの?」と思いましたが、この漁村で漁船をチャーターするとのことでした。ボードを持って浜に出ると、小型の木造の漁船が砂浜に引き上げられていました。ビーチにはオーバーヘッドのダンパーの大波が打ち寄せ、とても船が出せるようには見えませんでした。それでも漁師たち7~8人は船を押していました。でも船で越えられるような波ではありませんでした。我々は半ば諦めて作業を眺めていました。

「お~い。手伝ってくれ~。」漁師が叫ぶので、サーフボードを積み込んだ後、我々も全員で船を押しました。波が来たら踏ん張ってこらえ、引き波に合わせて一気に押します。ようやく船が水面に浮き上がりました。
「急げ~。早く乗れ~。」との声で、我々は船腹にしがみ付き甲板によじ登りました。
やっとのことで甲板に登りつくやいなや「ドドーーーン」という音と共に大波が船体に打ちつけました。激しい衝撃に、皆その場から吹っ飛んで甲板上を転がりました。サーフボードの山もガラガラと崩れ甲板上は惨憺たる状況でした。体のあちこちが打撲傷と擦過傷で血が滲んでいます。おまけに船は砂浜に打ち上げられてしまいました。
「みんな、降りろ!」という漁師の指示でまた船を押すところからやり直しでした。ケガした箇所が海水で沁みます。それでも皆で力を合わせ再び船は水面に浮かびました。今度はみんな必死で船にしがみついています。次々にドーンドーンと大波を喰らい振り落とされそうになりました。そしてようやく沖に出た時は到着から既に2時間近くが経過していました。
外海に出ると山のようなうねりが木製の小船を翻弄しました。ボート・トリップと言うよりボート・ピープルと言った方が良さそうな姿です。ボロボロに疲れた我々は、時々「プスプス プスン」と止まってしまう漁船のエンジンに不安をいだきながらも、ただ無事に辿り着ける事を祈るのみでした。

1時間半近くかかって船は「サワルナ・ポイント」に到着しました。そこに人は誰もおらず、真っ青な海水と夢のような美しい波が待っていました。もう皆船酔い寸前でしたから、大急ぎで海に飛び込み嬉々として波に向かってパドリングしていきました。私も少し遅れて海に飛び込みました。波に近づいていくと船から見た印象とはかなり違いがあることがわかってきました。意外と大きな波だったのです。ガイドの予想では波は胸くらいのサイズとのことだったので普通のサーフボードしか持ってきてはいません。
 ガイドの青年がまず1本乗りました。ダブルオーバー近いサイズです。しかも苦手なバックサイドです。みんなもう半分固まっていました。それでもここまで苦労して辿り着いたのです。私もガイドと同じポジションで波を待ちました。しかし、波はどんどん大きくなっていきます。必死でパドルしてもテイクオフができません。歯が立たないのでした。
 しかし、その波は来たのです。私のポジショニングにぴったりの波。ダブル半くらいです。ハワイ式に言えば5~6ftです。渾身の力を込めてパドリングしました。板が斜面をすべりだしました。滑り出したこと自体が意外に感じました。チャンスとばかりにすかさず立ち上がり、波のボトムに向けて滑り降りていきました。しかし、なかなかボトムに到達しません。波が切り立ち襲い掛かってこようとしているので浅めのボトムターンで掘れ上がった波の先へフル加速して逃げることにしました。波との競争の始まりです。今まで経験したことのないスピードです。波に乗ると言うより、板が巻き上げられないようにひたすら踏ん張って押さえつけるだけと言った方が正しいです。波に捕まって巻かれたら酷いことになりそうです。ほんの十数秒のはずですが長い長い波の壁を走りぬけ、無事波の裏側へプルアウトすることができました。体が震えるような興奮を覚えました。
 ボードに腹ばいになり戻ろうとして唖然としました。遠くを見渡しても誰も見えません。それどころか船も見えません。恐ろしくなって沖に向かって必死でパドリングしました。そこに巨大なセットの波がやってきました。ダイブしましたが、強烈なパワーでぐしゃぐしゃに巻かれました。ようやく水面に這い上がったのですが、次の波がすぐそこまで来ていました。かなりヤバイです。サーフボードを捨て、体ひとつで潜水しました。リーシュ(パワーコード)の先のボードが波を受け、強い力で足を引っ張られました。幸いにしてリーシュは切れず、サーフボードを引き寄せることができました。もしも巻かれて岸の方に行ってしまったら最後、ギザギザの珊瑚礁の上を引きずられることになってしまいます。必死でパドリングしました。長い格闘の末なんとか沖に出ることができました。遥か彼方に仲間の姿が見えました。

長い長いパドリングの末、ようやく皆の所へ戻ってきました。何人かは「戻ってこないから心配したよ」と言ってくれましたが、他の人たちは自分のことで精一杯で気づいてもいませんでした。波はますます大きくなってきました。少しインサイドに移動し、小さい(と言っても頭半くらいの)波に1本乗りました。しかしその後はますます波は大きくなるばかりで、大波を喰らわないようにひたすら沖に逃げるためのパドリングでした。ガイドたちが「8フィート!8フィート!」と叫んで注意を促します。8フィート(身長の3~4倍)の波はもう全く歯が立たない世界でした。エキスパートなら最高の波と言えるのでしょう。ガイドの連中もここでこんな大きな波に出会ったことはなく、もはや誰も乗ることもできませんでした。手も足も出なくなったので船に戻り、帰ることにしました。
 今回はビデオカメラを持ってきていたのですが、撮影をするような心の余裕はなく、すっかり忘れていました。でも、モンスターのような、しかし美しい波は一生瞼に焼き付いているでしょう。人生で最大のWILD & HARDなサーフィンを体験した一日となりました。




West Javaの滞在もあと残すところ2日間となりました。今回はシーズン前のWest Javaで波をはずした場合を考えて、もう1箇所ロンボク島へ移動することにしていたからです。
ここまで波は大きすぎたり小さすぎたり。でもかつてない経験の連続でした。サーフィン・ガイドの連中が私たちを気の毒に思ったのかとっておきのシークレット・ポイントに連れて行ってくれました。ここは、お金持ちの別荘の私有地の中にあるポイントです。許可をとって連れて行ってくれました。車は幹線道路から細い私道に入り、別荘の門の前で止まりました。




そこから歩いてバナナの生い茂る小道を抜けると小さなビーチに出ました。所々岩の出た白砂のビーチです。こじんまりとしていてまさにプライベートビーチという感じです。波は腹~頭のスローなレギュラーです。一番好きなタイプの波です。できれば初日からこの波に入りたかった。







波乗りは絶好調と言いたいところですが、昨日までのダメージが溜まって、体が思うように動きません。足がヘロヘロです。それでもボトムターンからカットバックで繋いでインサイドまで走れる波です。1時間入ったらもう体力の限界となりました。残念でした。

夕方、サーフィン・ガイドの2人がやってきて、「温泉に行こう」と言いました。どんな温泉かわかりませんが、疲れを癒すのには良い選択です。ガイドたちがオートバイを借りてきました。スーパーカブに日本のスクーターのようなデザインのパーツをつけたバイクです。アジアらしいデザインです。これに2人乗りして山道を登っていきました。例によってとんでもないライディングです。ノーヘルでガタガタ道をすっ飛ばして行きました。村に入るには幾らかの金銭を徴収しているようです。山を越え、温泉に到着しました。古い日本の観光地のように出店が並んでいんました。小さな橋のたもとに居る少年に寄付金と称する小額のお金を渡し、橋を渡りました。小川の上流では川原のあちこちから湯気とともに噴水のような温泉が2~3mの高さに噴出していました。今まで見たこともない光景です。ミスト・サウナのように霧状になっています。何百という噴水状の温泉です。川の中はお湯で、各自好みの湯温の場所に陣取り湯に浸かりました。風向きの変化により暑くなったり寒くなったりしました。大勢の地元の家族連れが来ていました。ここがもし日本なら大変有名な温泉になるでしょう。他に類をみないユニークな温泉でした。帰りはビーチで一服です。海水浴場ですが波が大きすぎて誰もいませんでした。夕日を眺めながらナニカナで締めの一日となりました。Wildだけどメローな一日を送ることができました。

遂にウエスト・ジャワの最終日となりました。思えばハードな毎日でした。でも忘れがたい貴重な経験がいっぱいできました。だからこういう旅はやめられません。今日は昼前にバリ島経由でロンボク島に向け出発ですので食事前の早朝に昨日のポイントに行きました。ゆっくり崩れるメローなレギュラー・ウェーブです。ナニカナが効いているせいかボケボケで調子はイマイチです。でも楽しめる波でした。インサイドまでロングライドできますが、もう足腰がヘロヘロでした。1時間程度であがることにしました。













最後の1本も気持ちよくインサイドまで乗ってきました。最後にリッピング技で締めようとボトムターンにはいった時でした。ボードの寸前を1m位のトカゲのような生き物が横切りました。あわてて避けてそのまま岸に向かいました。これで最後です。この旅ではあまりたくさんの波には乗れませんでしたが、思い出深い波乗りができました。また来てみたいものです。岸にあがってからガイドに目撃した生物について聞いてみました。ガイドは「コモドだろう」と言っていました。コモドってコモドドラゴンのことでしょうか。ジャワにいるとは聞いたことがありません。大きなトカゲのことを「コモド」と言う俗称があるのかもしれません。後日、ガイドが撮影してくれたビデオを見たらそのシーンが映っていました。コモドよりも色が濃いですし、背中にギザギザがありました。どう見てもそれは「クロコダイル」です。ワニの棲む海で波乗りをしていたとは。やっぱりWILDなWEST JAVAなのでありました。  


2013年01月08日

プロローグ 旅の記録

1982年の3月、ハワイへの留学が初めての海外渡航でした。
英語もろくに話せない私なのに1年2ヶ月の留学が最初の海外経験だったので、
私にとって海外へ行くということは、イコール『勉強』『試練』というものでした。


留学用のF-1ビザ


以来30年間に何度も海外へ行きましたが、遊びに行くという感覚はほとんど無くて、
自分自身の『鍛錬』という気分でした。
だからトリップは贅沢品ではなくて『教育費』という感覚を持っていたのです。

もちろん一般社会には理解されてはおらず、
「仕事を長期で休んで海外に遊びに行ってばかりの贅沢なダメ社員」というレッテルを貼られていました。

だからこそ今のようなライフスタイルを作れたのでしょうね。
会社が辞めさせてくれないような重要な人材と見なされなかったのは私にとって幸運だったのかもしれません。

たとえそれがサーフィンのための旅行であっても
海外へ一人で旅に出ると様々な困難が待ち受けています。
ハワイのワイキキの海岸であっても、声を掛けてくるのは水着美女ではなくて、
マリファナの売人だったり、宿無しの流れ者白人サーファーだったり。
要するにチンピラばっかり。
アブない火の粉を払う術だけは上手くなったように思います。

海外トリップの記録

1982~83年 1年2カ月 ハワイ(留学)
1984年4月  2週間  フィリピン
1985年4月 10日間  ハワイ(友人の結婚式)
1989年8月 5日間  グアム(バケーション)
1989年12月 7日間  ハワイ
1990年7月  7日間  バリ
1991年5月  8日間  ハワイ
1991年6月  9日間  ジャマイカ・マイアミ(バケーション)
1992年6月  4日間  サイパン(バケーション)
1993年5月  8日間  フロリダ・ニューヨーク
1993年9月  8日間  ハワイ
1994年6月  8日間  ハワイ
1994年9月 12日間  ハワイ(ダイビングインストラクター試験)
1995年1月  8日間  タヒチ・モーレア
1995年3月 5日間  フィリピン・セブ(バケーション)
1995年4月  8日間  ハワイ
1996年6月  7日間  ロサンゼルス・ラスベガス(仕事の出張)
1997年10月 5日間  ロサンゼルス(バケーション)
1998年2月  6日間  モルジブ(バケーション)
2000年4月  8日間  ハワイ
2001年6月  8日間  ハワイ
2002年6月  8日間  ハワイ
2003年4月 15日間 ウェストジャワ・バリ・ロンボク
2003年6月  7日間  ハワイ  
2004年6月  8日間  ハワイ
2006年6月  8日間  ハワイ
2007年6月  7日間  ハワイ
2012年1月  8日間  ヒッカドゥア(スリランカ)
2013年1月 12日間  ヒッカドゥア(スリラン)
2013年3月  12日間  バンダアチェ(インドネシア)
2013年11月 8日間  ボルネオ(マレーシア・サバ州)
2014年2月  7日間  ラ・ウニオン(フィリピン)
2014年3月 10日間  バンダアチェ(インドネシア)
2014年10~11月 21日間   ハワイ
2015年3月  10日間 ミリッサ(スリランカ)
2015年6月  6日間 ハワイ



歳をとるに従って、最近の旅は冒険が減り、のんびりの癒しの旅になりましたが、
それでも旅はそれなりの試練を与え、乗り越えるトレーニングをさせてくれます。

このブログでは文章化された記録が残る2003年のウエスト・ジャワの旅と『来たよ!いい波』に書いた2007年のハワイの旅から書いていこうと思います。
いずれ、思い出したら他の旅についても書いていこうと思っています。  


Posted by エディ立川 at 15:22プロローグ